ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 アモス書1章

聖書日課 アモス書1章(新共同訳 旧約pp.1428-1429)

「テコアの牧者の一人であったアモスが預言活動を行ったのは、「ユダの王ウジヤ」イスラエルの王」ヤロブアム2世の時代で、紀元前760~750年頃であったと言われている(1節)。

 本書の1~2章には、8つの諸国民に対する審判が宣告されている。それらの宣告の特徴は、「主はこう言われる。~の三つの罪、四つの罪のゆえに/わたしは決して赦さない」という定型句によって始まっているところにある。

「三つの罪、四つの罪のゆえに」というのは、文字通り3つ或いは4つを意味するのではなく、数量が満杯であることを意味する慣用的表現である。つまり、それまで主なる神は、諸国民の罪に対して長い間忍耐しておられた。ところが、人々は一向に罪を悔い改めなかった。それどころか、なかなか裁きが訪れないことをいいことに、人々はいつまでも罪を犯し続けていたのである。

 しかし、主なる神は決して侮られる御方ではない。最後には必ず罪を裁かれる。そして、とうとうその時がやって来ようとしていた。その意味で、このアモスの言葉は主なる神の最期通告と言うことが出来るかも知れない。

 私達はここから2つのことを学ぶことが出来る。一つは、私達が何とか裁かれないように、主なる神は最後の最後まで、私達に向かって警告の言葉をかけ続けておられるということである。ここに主なる神の愛と忍耐が現されている。この愛と忍耐の故に、私達は猶予され、赦され、救われたのである。

 しかし、それと共に、私達はもう一つのことを心に留めなければならない。それは、裁きの時は必ずやって来るということである。主なる神は決して罪を放ったままにしておかれない。私達がいつまでも罪を悔い改めようとしない時、断固として裁きの手を下される。

 だから、決して罪を軽く見てはいけない。断じて主なる神を侮るようなことがあってはならない。主なる神を畏れ、敬い、信頼し、聞き従って生きることが、何よりも大切である。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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聖書日課 ヨエル書4章

聖書日課 ヨエル書4章(新共同訳 旧約pp.1425-1427)

 ヨエル書の主題は〈主の日〉である。最終章である本章では、「その日、その時」何が起こるのかが改めて語られている(1節)。その日は、「ユダとエルサレム、即ち神の民が「繁栄を回復する」日であり(1節)、また神の民を苦しめてきた「諸国の民」が裁かれる日である(2節)。主の日とは、まさにこのような日であり、ヨエルは、そのような日、そのような時が必ずやって来ることを伝えた預言者である。

 問題や苦難が立ちはだかる時、忽ち目の前が真暗になり、気落ちしたり、自棄になったり、怒ったり、不平不満をぶちまけたりしてしまうことはないだろうか。

 そのような時、私達は、本当のところ、そこに共におられる主なる神に向き合っていない。勿論、キリスト者であるならば、主なる神が共におられるということを知ってはいるだろう。そして、確かに主なる神は私達と共におられる。しかし、私達がどのようなことでも主なる神に聞き従う心で主なる神の御前にひれ伏すことがなければ、主なる神の助けも祝福も得ることは出来ない。

 この時、イスラエルの人々は、まさにそういう状態に陥っていた。そして、そのような彼らに向かって、ヨエルは「主の日は来る! 主なる神はきっと来る! 必ず来る!」と語り続けた。

 信仰とは、この約束、この語りかけに信頼して待つことである。たとえ眼前には問題や苦しみが立ちはだかっていたとしても、やがて必ず主の日が来ることを信じて、どこまでも希望を失わずに待ち望んで生きること、それが信仰である。

 では、どうすれば私達はそのような信仰に立つことが出来るだろうか。

「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ローマの信徒への手紙10章17節)。

 心を静めて「キリストの言葉を聞くこと」、それが、気落ちしたり、怒ったり、慌てたり、不平不満で一杯になった私達にとって最も必要なことである。

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聖書日課 ヨエル書3章

聖書日課 ヨエル書3章(新共同訳 旧約p.1425)

 3章では、預言者ヨエルの目は遥かに時代を超えて終末へと向けられている。終末における「主の日」は、実に「大いなる恐るべき日」であり、「太陽は闇に、月は血に変わる」と言われている(4節)。その日には、全ての罪が裁かれ、全ての悪が滅ぼし尽くされる。

 しかし、聖書が終末について語るのは、決して悲劇や絶望を語るためではない。

「しかし、主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。主が言われたように/シオンの山、エルサレムには逃れ場があり/主が呼ばれる残りの者はそこにいる」(5節)。

 主の日は、罪ある者にとっては恐ろしい滅びの日であるが、「主の御名を呼ぶ者」、即ち主なる神に信頼を置き、主に聞き従って生きる人々にとっては、救いの日、回復の時となる。その人々は「残りの者」と呼ばれる。

 そして、主なる神は、主の御名を呼ぶ者全てに聖霊を注がれる(1~2節)。その時、彼らは、「夢」と希望の「幻」に満たされ、主の御言葉を語る者とされる(1節)。大いなる恐るべき日が訪れようとしている暗闇と混乱の時代にあっても、彼らの希望は決して失われることはない。何故なら、それは主の御言葉によるものだからである。

 使徒ペトロは、ペンテコステの日に、120人ほどの弟子達の上に聖霊が注がれたのを見て、ヨエル書の預言が成就したと宣言した(使徒言行録2章16~21節)。その時以来、聖霊は、主イエス・キリストを救い主と信じる者の上に注がれ続けている。そして、聖霊によって与えられる夢と幻に満たされた人々を通して福音が世界中に宣べ伝えられ、数え切れないほど多くの人々に救いと癒しと希望を与え続けてきた。

「主の御名を呼ぶ者」にとって、主の日は、救いの日であり希望の日である。私達もまた、聖霊に満たされ、希望と救いをもたらす主の御言葉を世界中に宣べ伝える者でありたい。

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聖書日課 ヨエル書2章

聖書日課 ヨエル書2章(新共同訳 旧約pp.1422-1425)

 ヨエル書は、何度も「主の日」について言及している。ヨエルが言う「主の日」は、恐るべきいなごの災害が襲う日であり、諸国民への裁きの日であり、また終末をも意味している。いずれも、主なる神がその主権的力をもって人間の歴史に介入される日という点では一緒である。

「シオンで角笛を吹き/わが聖なる山で鬨の声をあげよ。この国に住む者は皆、おののけ。主の日が来る、主の日が近づく。それは闇と暗黒の日、雲と濃霧の日である。強大で数多い民が/山々に広がる曙の光のように襲ってくる。このようなことは、かつて起こったことがなく/これから後も、代々再び起こることはない」(1~2節)。

 そのような日がやがて必ず来ることを、私達は信じて生きているだろうか。聖書がそう教えていることは知っていても、目の前の現実を見ていると、そのようなことは到底起こりそうもないと思っている人が多いのではないか。

 しかし、一方で、私達の人生には「どうしてこんなことが?」と思うような問題や苦難が起こることもまた事実である。ただ、多くの場合、そういう苦しみに出会っても、必死に苦しみを取り除けようとするばかりで、主なる神に向かうことをしないのが私達の現実なのではないか。

 しかし、主はそのような私達に向かってこう言われる。

「主は言われる。『今こそ、心からわたしに立ち帰れ/断食し、泣き悲しんで。衣を裂くのではなく/お前たちの心を引き裂け。』あなたたちの神、主に立ち帰れ。主は恵みに満ち、憐れみ深く/忍耐強く、慈しみに富み/くだした災いを悔いられるからだ」(12~13節)。

 今あなたは、苦しみの中にいるだろうか。もしそうだとしたら、その苦しみから逃れようともがくのではなく、主の御前に静まって、苦しみや問題の中で語りかけておられる主の御声に耳を傾けてみてはどうか。「恵みに満ち、憐れみ深く/忍耐強く、慈しみに富」む主が、あなたの帰るのを待っておられる。

「今こそ、心からわたしに立ち帰れ/断食し、泣き悲しんで。衣を裂くのではなく/お前たちの心を引き裂け」

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聖書日課 ヨエル書1章

聖書日課 ヨエル書1章(新共同訳 旧約pp.1421-1422)

 ヨエル書は、「いなご」による災害を預言した書として知られている(4節)。しかも、その被害は尋常では考えられないほど大きなものであった。

「一つの民がわたしの国に攻め上って来た。強大で数知れない民が。その歯は雄獅子の歯、牙は雌獅子の牙。わたしのぶどうの木を荒らし/わたしのいちじくの木を引き裂き/皮を引きはがし、枝を白くして投げ捨てた。泣き悲しめ/いいなずけに死なれて/粗布をまとうおとめのように。献げ物の穀物とぶどう酒は主の宮から断たれ/主に仕える祭司は嘆く。畑は略奪され、地は嘆く。穀物は略奪され/ぶどうの実は枯れ尽くし/オリーブの木は衰えてしまった。農夫は恥じ、ぶどう作りは泣き叫ぶ。小麦と大麦、畑の実りは失われた。ぶどうの木は枯れ尽くし、いちじくの木は衰え/ざくろも、なつめやしも、りんごも/野の木はすべて実をつけることなく/人々の楽しみは枯れ尽くした」(6~12節)。

 何という災害、何という困窮だろう。この事態を一体どのように乗り越えていけばよいのか。その時、ヨエルは全ての国民に次のように呼びかけた。

「断食を布告し、聖会を召集し/長老をはじめこの国の民をすべて/あなたたちの神、主の神殿に集め/主に向かって嘆きの叫びをあげよ」(14節)。

 この恐ろしいほどの災害の中で、ヨエルは、主なる神に向かって「嘆きの叫びをあげ」るよう勧めた。不安、恐怖、怒り、疑心暗鬼といった思いで一杯になった時、私達はそれをどこに向ければよいだろうか。人だろうか、社会だろうか、それとも運命だろうか。そうではない。天地の造り主なる神であるとヨエルは教えた。

「祈りや信仰なんて何の役にも立たない」と言う人がいる。しかし、本当にそうだろうか。物や環境の復興と共に大切なことは、信仰の回復である。或る意味で、このような災害からの真の復興は、主なる神への立ち帰りにあると言える。「この国の民をすべて、あなたたちの神、主の神殿に集め、主に向かって嘆きの叫びをあげよ」。これは私達とこの国に対する呼びかけでもある。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と慈しみの中に私達を握り、御前に引き寄せて下さったことを心から感謝致します。

 主よ、あなたは罪の中に苦しんでいるあなたの民を、罪の中から呼び出されます。そのようにして、あなたは私を罪の泥沼の中から救い出して下さいました。

 今日も御前に罪を悔い改め、あなたの日が近いことを心に覚え、御前に畏れ慄きながら、また、全く新たにされる希望に満たされながら、あなたと共に生きることが出来るよう、導いて下さい。

 いつまでも同じように時が流れると思いながら、罪に留まり続ける方に、あなたの愛と救い、義と聖を伝えることが出来るよう、聖霊を注ぎ、清め、力づけ、お用い下さい。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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聖書日課 ホセア書14章

聖書日課 ホセア書14章(新共同訳 旧約pp.1419-1420)

 ホセア書の最終章は、イスラエルの回復と祝福の言葉で終わっている。愛されていながら夫を裏切り、姦淫の罪に陥った妻ゴメルを、ホセアはなお迎え入れた。それはまさに、主なる神への信仰を捨てて偶像を拝んだイスラエルの民をなお愛し、なお赦し、イスラエルよ、立ち帰れ/あなたの神、主のもとへ」と呼びかける主なる神の愛を証しするものであった(2節)。

 聖書のメッセージは単純明快である。聖書は全巻を通して、「立ち帰れ/あなたの神、主のもとへ」と呼びかけている。

 主なる神に「立ち帰」ることは、自分が「咎」「悪の中」にいると認めることから始まる(2節)。私達は、多くの場合、悩みや苦しみの中で主なる神の救いを求めるようになる。しかし、問題が解決した途端、また自分の好き勝手な道を歩み始める人が何と多いことか。それは自分の咎と悪についての自覚が深まっていないところに原因があるように思う。

 悩みや苦しみが解決するのは喜ばしいことである。しかし、更に大切なことは、私達が自らの罪と咎を悟り、悔い改めることである(3節)。それが「主に立ち帰」るということである。

 また、主なる神に「立ち帰」ることは、主なる神とその御力に信頼し、拠り頼むことでもある。当時アッシリアは世界の最強国であり、「軍馬」は戦争の強力な道具であった。しかし、イスラエルの人々が第一に信頼すべき方は主なる神であり、真に拠り頼むべきはその御力である(4節)。それが主なる神に「立ち帰」るということである。その時、主なる神は「立ち帰」った者にこう言われる。

「わたしは背く彼らをいやし/喜んで彼らを愛する。まことに、わたしの怒りは彼らを離れ去った。露のようにわたしはイスラエルに臨み/彼はゆりのように花咲き/レバノンの杉のように根を張る。その若枝は広がり/オリーブのように美しく/レバノンの杉のように香る。その陰に宿る人々は再び/麦のように育ち/ぶどうのように花咲く。彼はレバノンのぶどう酒のようにたたえられる」(5~8節)。

祈り
 天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの溢れる恵みと愛の中に置いて、御前に引き寄せて下さったことを、心から感謝致します。

 主よ、言い訳の多い私をお赦し下さい。私の中に清い心、真実を造られるのは、主よ、あなたです。このような者のためにも良い行いを創造し、備えて下さっているというあなたの御言葉を感謝します。

 主よ、今日、あなたが備えて下さっている良い行いを一つでも行うことが出来ますよう、導いて下さい。「御心が天で行われるように、地でも行われますように」とあなたの御子イエス・キリストが教えて下さった祈りを、今日も祈りながら、あなたの行い、あなたの道に歩むことが出来ますよう、助けて下さい。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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聖書日課 ホセア書13章

聖書日課 ホセア書13章(新共同訳 旧約pp.1418-1419)

「エフライムの終わり」と題された本章では、北王国イスラエルの滅びが宣告されている。その滅びは、歴史的には、アッシリア帝国によってもたらされたものである。しかし、聖書は、北王国滅亡の原因を、「バアルによって罪を犯したので/彼は死ぬ」とはっきり教えている(1節)。

 神ならぬものを神として拝むことは罪であり、罪を犯せば必ず死に至るということを、私達はどれほど真剣に受けとめているだろうか。八百万の神々を拝んできた日本人には、理解し難いことだろう。それに加えて、罪と死の関わりを信じることも、科学時代に生きる人間にとっては難しいことかも知れない。

 しかし、それは信仰を持たない人だけの話ではない。イエス・キリストを信じて生きている私達も、偶像や罪が死をもたらすということを知ってはいても、実際どれほど真剣に受けとめて生きているだろうか。曖昧な自分の姿に反省させられるのではないか。

「あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません」という御言葉を読む度に(ヘブライ人への手紙12章4節)、自分自身の信仰の不徹底さと弱さを覚えることだろう。

 イスラエルの人々の堕落した姿を聖書の中に見る時、「どうして彼らはあんなに愚かなんだろう」と思ってしまう自分に気付かされることがある。しかし、その愚かな者が実は自分自身であることを忘れている。いや、それほど真剣に受けとめていない。何よりも大事なのは、イスラエルの人々の罪は、私自身の罪であり、イスラエルの弱さは、私の弱さであることを覚え、私自身が悔い改めて主なる神に立ち帰ることである。私達が聖書を読むのはそのためである。

「わたしこそあなたの神、主。エジプトの地からあなたを導き上った。わたしのほかに、神を認めてはならない。わたしのほかに、救いうる者はない」(4節)。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と恵みの中に包み、引き寄せて下さったことを心から感謝致します。

 主よ、あなたは死を打ち滅ぼし、甦られました。どうか、私達の霊の目を開き、霊の耳を開き、今生きているあなたの御姿を見、あなたの御声を聞くことが出来るようにして下さい。

 死に支配されない神の子の尊厳に満たし、あなたに支えられ、あなたに握っていただいて、永遠にあなたと共にある希望と喜びの中に今日も歩むことが出来るよう、導いて下さい。

 死を恐れる一人一人をあなたご自身が訪れて、聖霊を満たし、復活のあなた御自身を啓示して下さいますよう、心からお願い致します。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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聖書日課 ホセア書12章

聖書日課 ホセア書12章(新共同訳 旧約pp.1417-1418)

「エフライムは偽りをもって/イスラエルの家は欺きをもって/わたしを取り巻いた。ユダはいまだに神から離れてさまよい/偶像を聖なるものとして信頼している。エフライムは風の牧者となり/一日中、熱風を追って歩く。欺瞞と暴虐を重ね/アッシリアと契約を結び/油をエジプトへ貢ぐ」(1~2節)。

 これは間近に滅亡が迫っているイスラエルについて言われた言葉である。それまでイスラエルは経済的にも政治的にもソロモン王以来の大きな繁栄を得ていた。しかし、その繁栄は欺きと搾取によって築き上げられたものであった。彼らの心は主なる「神から離れ」偶像」に向けられていた。また、彼らはアッシリア「エジプト」といった目に見える力に拠り頼んだ。そのような偽りの繁栄の象徴として、商人達についてこう言われている。

「商人は欺きの秤を手にし、搾取を愛する。エフライムは言う。『わたしは豊かになり、富を得た。この財産がすべて罪と悪とで積み上げられたとは/だれも気づくまい』」(8~9節)。

 これは、主なる神を捨て、主なる神を畏れ敬うことを忘れ去った人間の姿である。主なる神に拠り頼もうとしない者は、富に拠り頼み、富を得ることを最優先に考える。そのためなら、人を欺いたり、搾取することさえ厭わない。そして、彼らはこう言う。「この財産がすべて罪と悪とで積み上げられたとは/だれも気づくまい」。……しかし、そのような彼らに主なる神はこう告げられた。

「わたしこそあなたの神、主。エジプトの地からあなたを導き上った。わたしは再びあなたを天幕に住まわせる/わたしがあなたと共にあった日々のように」(10節)。

 主なる神は、イスラエル「エジプトの地」を出た日から、ずっと彼らの「主」であり、彼らを導いて来られた。しかし今、主なる神は、豊かになったイスラエルをその貪欲と高慢の罪の故に再び貧しい荒野の「天幕」に移すと言われるのである。

 これは警告であり、厳しい懲戒の言葉である。しかし、同時に主なる神は、そのような彼らに向かってこう叫ばれた。

「神のもとに立ち帰れ。愛と正義を保ち/常にあなたの神を待ち望め」(7節)。

 主なる神は、最後の最後まで、決してイスラエルを見捨てなかった。何故なら、主なる神は、イスラエルをわが子として愛しておられたからである(11章1節)。そして、その愛は今、主イエス・キリストを信じる私達にも向けられていることを忘れてならない。

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イースターエッグに記されていた聖書の言葉について

イースターエッグに記されていた聖書の言葉について

 3月31日(日)のイースターに、教会員の兄弟がご夫妻でイースターエッグを準備して下さいました。ご奉仕に心から感謝致します。イースターエッグには、一つ一つ聖書の言葉が記されていました。その御言葉をご紹介します。

「主を待ち望め/雄々しくあれ、心を強くせよ。主を待ち望め」(詩編27編14節)。

「主の使いはその周りに陣を敷き/主を畏れる人を守り助けてくださった」(詩編34編8節)。

「わたし自身が町を囲む火の城壁となると/主は言われる。わたしはその中にあって栄光となる」(ゼカリヤ書2章9節)。

「なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです」(エフェソの信徒への手紙2章10節)。

「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい」(コロサイの信徒への手紙3章16節)。

「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです」(ヘブライ人への手紙12章1~2節)。

「わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました」(ペトロの手紙一1章3~4節)。

2024年4月7日(日) 週報

2024年4月7日(日) 復活節第2主日

○礼拝プログラム
招詞 詩編133編1節
讃美 67(よろずのもの とわにしらす)
交読 コロサイの信徒への手紙3章10~15節(新共同訳 新約p.371)
主の祈り
聖書拝読 コリントの信徒への手紙一1章10~18節(新共同訳 新約pp.299-300)
祈り 柏本隆宏協力牧師
暗唱聖句 創世記18章18節
讃美 151(よろずの民、よろこべや)
宣教 「イエス・キリストのもとでの『一致』」柏本隆宏協力牧師
讃美 154(地よ、声たかく 告げ知らせよ)
聖餐式
祈り
奉献
頌栄 543(主イエスのめぐみよ)
祝祷 柏本隆宏協力牧師
報告

○4月の暗唱聖句
アブラハムは大きな強い国民になり、世界の全ての国民は彼によって祝福に入る」(創世記18章18節)。

○報告
1. 2024年度の教会年間テーマはイエス・キリストの証人となる」です。新しい年度、遣わされているところで、イエス・キリストの良き証人として私達一人一人が用いられますよう祈っていきましょう。
「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒言行録1章8節)。
2. 新しい月4月を迎えました。今朝もイエス・キリストの十字架の御苦難と死を偲びつつ、聖餐の恵みに与りましょう。
3. イエス・キリストを主と信じ、バプテスマを受けることを希望される方、また西原新生教会への転入会を希望される方は、柏本協力牧師までお申し出下さい。
4. 病と闘っておられる兄弟姉妹を覚えて癒しと快復をお祈り下さい。
「彼(イエス・キリスト)はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った」(マタイによる福音書8章17節)。
5. 新型コロナウィルス感染症の流行以降、私達の教会ではペンテコステ(聖霊降臨日)に定期総会を開催してきました。2024年度も、総会に向けての準備なども考慮し、5月19日(日)ペンテコステ定期総会を行います。次の一歩を踏み出すにあたって、皆で主の御心を祈り求めつつ臨みましょう。
6. 来週4月14日(日)、15:30より久しぶりに夕礼拝を行います。
7. ブログは随時更新しています。聖書日課の箇所に関する短いメッセージを載せていますので、日々の聖書通読の一助としてご参照下さい。
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○聖書日課
7日(日) アモス書7章
8日(月) アモス書8章
9日(火) アモス書9章
10日(水) オバデヤ書
11日(木) ヨナ書1章
12日(金) ヨナ書2章
13日(土) ヨナ書3章

西原新生バプテスト教会
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