聖書日課 創世記43章(新共同訳 旧約pp.77-79)
(1) ユダの説得(1〜10節)
ヤコブがベニヤミンを自ら守ろうとする執着によって、主なる神が御心を成し遂げられる夢への旅は中断されていた。
しかし、「エジプトから持ち帰った穀物」が底をつき、「この地方の飢饉」が更に「ひどくなる」と、ヤコブは息子たちに「もう一度行って、我々の食糧を少し買って来なさい」と命じた(1~2節)。
すると今度はユダが、ベニヤミンを「一緒に行かせて」くれるよう、ヤコブを説得した(4~5節)。ユダは、エジプトの司政者が「弟が一緒でないかぎり、わたしの顔を見ることは許さぬ」と言って、「厳しく」警告してきたことを語った(3節)。
また、ヤコブの決断によって「我々も、あなたも、子供たちも死なずに生き延びることができます」と述べ、これが自分達の命のかかった問題であることを強調した(8節)。
更に、ベニヤミンのために自分の命を担保として進んで差し出した(9節)。足踏み状態にあった夢の旅路は、ユダが示した自己犠牲的な態度によって新しい転機を迎えた。
(2) ヤコブの決断(11〜14節)
ヤコブは、ユダの訴えに心を開き、遂にベニヤミンの同行を許した。
「すると、父イスラエルは息子たちに言った。『どうしてもそうしなければならないのなら、こうしなさい。この土地の名産の品を袋に入れて、その人への贈り物として持って行くのだ。乳香と蜜を少し、樹脂と没薬、ピスタチオやアーモンドの実。それから、銀を二倍用意して行きなさい。袋の口に戻されていた銀も持って行ってお返しするのだ。たぶん何かの間違いだったのだろうから。では、弟を連れて、早速その人のところへ戻りなさい。どうか、全能の神がその人の前でお前たちに憐れみを施し、もう一人の兄弟と、このベニヤミンを返してくださいますように。このわたしがどうしても子供を失わねばならないのなら、失ってもよい』」(11~14節)。
ここでヤコブの代わりに「イスラエル」という名が出てきていることには意味がある。イスラエルは、兄エサウと会った時のように(32章24節~33章11節)、息子たちにエジプトへの旅路を準備させる過程で断固とした行動と信仰を示している。
ヤコブは、贈り物としてカナンの「土地の名産の品」を用意させた(11節)。また、泥棒の濡れ衣を着せられないよう、「銀を二倍用意し」、「袋の口に戻されていた銀」と一緒に「お返しするのだ」と事細かく指導した(12節)。
最後に、ヤコブは「このわたしがどうしても子供を失わねばならないのなら、失ってもよい」と自分があれほど愛していたベニヤミンを手放し、主なる神に委ねる祈りをささげている(14節)。ヤコブが執着を捨てることによって、夢の旅は軌道に入った。
祈り
愛する天のお父様、私達の人生に起こる事柄は全てあなたに知られ、あなたの御手の内に治められていることを信じ、感謝致します。主よ、私達に「ベニヤミンを行かせるか」と問われるあなたの御声を聞きます。いつまでも隣にいて欲しい人、ずっと自分の手に握っていたいものを全てあなたの御前に下ろします。どうかそれらに執着することがないように助けて下さい。また、私達は目に見えるものに一喜一憂してしまいます。そのような私達を、今日も聖霊により、永遠に変わることのないあなたの御約束と堅く結び合わせて下さい。そして、感謝の心をもって過ごさせて下さい。貧しい私の霊をお支え下さい。主イエス・キリストの聖なる御名によってお祈り致します。アーメン。
西原新生バプテスト教会
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