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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ホセア書9章

聖書日課 ホセア書9章(新共同訳 旧約pp.1413-1414)

 預言者ホセアが、イスラエルに滅亡の危機が迫っていると告げた時、人々は彼を嘲笑い、敵意を剥き出しにした(7~8節)。それもそのはず、当時のイスラエルは、目に見えるところでは、繁栄と豊かさを保っていたからである。

 しかし、預言者は、目に見える現状から判断して語る者ではない。勿論、自分の思いつきや想像から語るのでもない。預言とは、主なる神から預かった言葉のことであり、預言者は、主なる神から預かった言葉を人々に語る者であった。そのため、多くの預言者は、目に見える現実しか見ていない世の人々から批判され、馬鹿にされ、憎まれ、殺されることさえあった。

 ホセアからおよそ100年後の南ユダ王国預言者として立てられたエレミヤは、主なる神の言葉を語る故に受ける苦しみについて、次のように告白している。

「主よ、あなたがわたしを惑わし/わたしは惑わされて/あなたに捕らえられました。あなたの勝ちです。わたしは一日中、笑い者にされ/人が皆、わたしを嘲ります。わたしが語ろうとすれば、それは嘆きとなり/『不法だ、暴力だ』と叫ばずにはいられません。主の言葉のゆえに、わたしは一日中/恥とそしりを受けねばなりません」(エレミヤ書20章7~8節)

 しかし、エレミヤは続けてこう祈っている。

「しかし主は、恐るべき勇士として/わたしと共にいます。それゆえ、わたしを迫害する者はつまずき/勝つことを得ず、成功することなく/甚だしく辱めを受ける。それは忘れられることのない/とこしえの恥辱である。万軍の主よ/正義をもって人のはらわたと心を究め/見抜かれる方よ。わたしに見させてください/あなたが彼らに復讐されるのを。わたしの訴えをあなたに打ち明け/お任せします」(エレミヤ書20章11~12節)

 主が共におられるという平安、全能の神に全てを委ねてお任せする信仰、それが、エレミヤに主なる神の言葉を語り続ける勇気と力を湧き上がらせた。ホセアも同じだったに違いない。「預言者はわが神と共にある」(8節)とあるように、彼もまた、主の臨在に包まれ、主の御力に拠り頼むことで、初めて預言者としての使命を全うすることが出来た。