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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ヨハネの黙示録22章

聖書日課 ヨハネの黙示録22章(新共同訳 新約pp.479-480)

 いよいよヨハネの黙示録最後の章、聖書の締め括りの章である。ここには、前章に続いて、新しいエルサレムについての描写と、イエス・キリストの再臨を待ち望む言葉が記されている。

「もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである」(5節)。

 新しいエルサレムには「もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽も要らない」。主なる神の光の前に、それまで光であったものが全く輝きを失ってしまうからである。同様に、この世においては、財産や功績、名誉、家柄といったものが輝かしい光となることがある。しかし、イエス・キリストの愛と恵みの光に照らされる時、それらは全て輝きを失う。

 だから、私達が今もこの世のものにしがみついているとすれば、主なる神が自分を照らして下さる世界に未だに生かされていないのではないか。真昼に懐中電灯をつけても何の役にも立たないように、主なる神の光に照らされているなら、このようなものにしがみつく必要は全くない。

「この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる」(18~19節)。

 信仰とは、聖書に書かれている通りに信じることである。或る箇所は受け入れるが、別の箇所は拒否するというのは信仰ではない。それは主なる神とその御言葉である聖書に対し全幅の信頼を寄せていないことだからである。また、それは、自分を主とし、主なる神を自分の僕に引きずりおろすことでもある。そういう間違いに陥らないためにも、私達は聖書全巻を正しく学んでいくことが大切である。

「以上すべてを証しする方が、言われる。『然り、わたしはすぐに来る』。アーメン、主イエスよ、来てください」(20節)。

「然り、わたしはすぐに来る」…何と嬉しい言葉だろう。主なる神にのみ望みを置いて生きる者にとって、どんなに力強い言葉だろう。それ故、私達も言おう。「アーメン、主イエスよ、来てください」と。

「主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように」(21節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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