十戒の要点は何か。それは〈主なる神を愛すること〉である。
「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(4~5節)。
イエス・キリストも「わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す」と言われている(ヨハネによる福音書14章21節)。
つまり、律法を守ることは、嫌々することではなく、愛が原動力である。主なる神を愛するが故に、愛する方の命令に従おうとする。これが律法を守ることになる。
「あなたたちの神、主が命じられた戒めと定めと掟をよく守り、主の目にかなう正しいことを行いなさい。そうすれば、あなたは幸いを得、主があなたの先祖に誓われた良い土地に入って、それを取り、主が約束されたとおり、あなたの前から敵をことごとく追い払うことができる」(17~19節)。
ところが、残念なことに、罪人は嫌々ながら守ろうとしてしまう。仕方なく、決まりだから、守ろうとしてしまう。怒られるから、刑罰が怖くて守ろうとしてしまう。
一般社会においても同じである。私達は恐れから法律や決まり事を守ろうとする。処罰を恐れて守ろうとする。だから、守らせるために、罰則を厳しくし、恐れを増し加えようとする。社会に対する愛、隣人に対する愛、主なる神に対する愛が動機となったら、そこまでする必要はなくなるだろう。
極端な表現かも知れないが、愛が完成すれば法律は要らなくなる。また「天の故郷」(ヘブライ人への手紙11章16節)にはきっと律法がない筈である。何故なら、主なる神を愛する愛が満ちているからである。隣人を愛する愛が満ちているので、法律であれこれ規制する必要がない。
逆を言えば、今ここに愛が満ちるなら、天に行かなくても、ここに〈神の国〉(神の支配)が実現する。主なる神を愛し、隣人を愛するところに、神の国は実現するからである。「わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされている」とヨハネが述べている通りである(ヨハネの手紙一4章12節)。
では、その愛はどこから来るのか。私達は愛を持ち合わせていない。あるように見えても、それは自分中心の愛であり、主なる神が言われる「愛」とは異なる性質のものである。
愛は主なる神から流れ出てくる。
「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」(ヨハネの手紙一4章10節)。
「あなたの神、主を愛しなさい」と命じられる主なる神は、まずご自身が先に私達を愛して下さっている。この御方に繋がろう。主なる神の愛は、私達に流れ、私達から周囲に流れるようになる。
西原新生バプテスト教会
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