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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 詩編50編

聖書日課 詩編50編(新共同訳 旧約pp.883-884)

「苦しい時の神頼み」と昔から言われる。余り良い意味では使われない言葉だが、人間の現実をよく表している。苦しんでこそ、主なる神に依り頼むことを知るということがあるからである。

「告白を神へのいけにえとしてささげ/いと高き神に満願の献げ物をせよ。それから、わたしを呼ぶがよい。苦難の日、わたしはお前を救おう。そのことによって/お前はわたしの栄光を輝かすであろう」(14~15節)。

「わたしを呼ぶがよい。苦難の日、わたしはお前を救おう」と主なる神は言われる。しかも、「そのことによって/お前はわたしの栄光を輝かすであろう」と言われている。苦しみの中で主なる神に依り頼むことが、主なる神の「栄光」を現すことになるというのである。

 どのようにしてだろうか? それは、私達の「告白」によってである。

「告白を神へのいけにえとしてささげ/いと高き神に満願の献げ物をせよ」と主なる神は言われる。私達が自分の罪と過ちを悟り、それを主なる神に「告白」して主の恵みと慈しみに依り頼む時、主なる神は全ての罪を赦し、全ての過ちを正し、全ての汚れを清めて下さる。その時、主なる神の「栄光」が輝く。

 しかもそれは、「謝れば、赦してやる」というようなものでは決してない。主なる神は、私達が悔い改める前から、私達を赦し、清め、癒そうと待っていて下さる御方である。「あなたの罪は既に赦されているから、安心して私のもとに来て赦しを受け取りなさい」。これが主なる神のあり方である。

 そのために、主なる神は私達の罪を背負って下さった。私達の代わりに御子イエス・キリストを十字架にかけて、罪の刑罰を受けて下さったのである。どうして主なる神は、それほどまでして下さるのだろうか。それは、主が私達を愛して下さっているからである(ヨハネの手紙一4章9節)。この愛の中に留まり続けたいと思う。

「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる」(ヨハネによる福音書15章9~10節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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