ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 申命記7章

聖書日課 申命記7章(新共同訳 旧約pp.292-294)

 主なる神は、「力ある御手をもって」イスラエルの民をエジプトから「導き出し」「エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出された」(8節)。そして、イスラエルの民を御自分の「民」とされた。

「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた」(6節)。

「宝」とはどのようなものだろうか。高価なもの、お金では買えないもの、他の何ものをもってしても代えることの出来ないもの、それが「宝」である。

 あなたにも「宝」があるかも知れない。それはきっといくらお金を積まれても決して譲ることの出来ないものの筈である。あなたは1億円積まれて、自分の子供を譲るだろうか? そうでないなら、あなたにとって子供は「宝」である。

 一方、投資目的で骨董品や絵画を持っている人にとっては、それ自体は「宝」ではない。換金して得られるお金が「宝」である。

 さて、主なる神は、イスラエルの民を「御自分の宝の民」と呼んでおられる。イスラエルの民は、それほど優秀で立派な民だったのだろうか。そうではない。そして、そうではなかったことが、この後の歴史でも現れてくる。

 勿論、イスラエルがそのような民であることを、主なる神はとうの昔にご存知である。

「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである」(7~8節)。

 では、何故主なる神はイスラエル「宝」だと言われるのだろうか。何故価値あるものだと言われるのだろうか。何故「あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの」と言われるのだろうか(イザヤ書43章4節、口語訳)。

 それは愛されたからである。

 よく考えていただきたい。私達は価値あるものだから愛するのだろうか。それとも愛するから価値あるものとなるのだろうか。この順番を間違えてはならない。

 出発点は何か。「愛」である。そして、愛しているから価値あるものと見なす。愛するからこそ「宝」となる。

 では、何故愛するのか。愛することに理由はない。逆を言えば、理由がある「愛」は本当の「愛」ではない。愛おしく感じ、愛することに理由などない。

 主なる神は、「御自分にかたどって」「創造」した人間を愛された(創世記1章27節)。人間が弱い存在であることはご存知である。エデンの園で悪魔の誘惑に負けてしまう愚かさもご存知である。それでも、主なる神は愛して下さっている。

 理由なく愛して下さるのが主なる神の「愛」である。本物の「愛」である。この「愛」から始めよう。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

f:id:Biblicism:20210602142922p:plain

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com