聖書日課 使徒言行録7章(新共同訳 新約pp.224-227)
キリスト教の長い歴史の中で、ステファノは最初の殉教者となった。彼は食事の世話係として選ばれた7人の執事の1人だった(6章5節)。しかし、ステファノが捕えられ、最高法院に引いて行かれたのは(同12節)、食事の世話をしていたからではない。彼が「恵みと力に満ち、素晴らしい不思議な業としるしを民衆の中で行っていた」(同8節)からであり、「知恵と“霊”とによって語」(同10節)っていたからである。彼らは食事の世話をしていただけではない。聖霊の知恵と力に満たされて宣教の業に励んでいたのである。
7章には、最高法院に引いて行かれたステファノが、大祭司と議員に向けて語った宣教が記されている。彼は、この宣教で、アブラハムから始まるイスラエルの歴史を詳しく語りながら、旧約聖書の歴史と使信を真の意味で受け継ぐのは、イエス・キリストとその教会であることを論証した。それと共に、彼ら指導者が「その方を裏切る者、殺す者となった」(52節)と断言した。つまり、ステファノを裁く者が、逆にステファノによって断罪されることになったのである。その結果、彼の殉教は最早避けられないものとなった。
しかし、ステファノの殉教の記事を読んでいると、とても不思議な感覚になる。ステファノに向かって「激しく怒り」、「歯ぎしりし」(54節)、「大声で叫びながら」、「一斉に襲いかかり」(57節)、「都の外に引きずり出して石を投げ始めた」(58節)人々とは対照的に、ステファノ自身は、怒りも恐怖もなく、不思議な平安に包まれているように見えるからである。
「ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、『天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える』と言った」(55~56節)。
「人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、『主イエスよ、わたしの霊をお受けください』と言った。それから、ひざまずいて、『主よ、この罪を彼らに負わせないでください』と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた」(59~60節)。
聖霊に満たされたステファノの内には、イエス・キリストがおられた。パウロの言葉が心に響く。「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(ガラテヤの信徒への手紙2章20節)。
西原新生バプテスト教会
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