ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えます。

祈祷会奨励 2021年8月6日

祈祷会奨励 2021年8月6日
エフェソの信徒への手紙5章18~20節(新共同訳 新約p.358)
聖霊に満たされること」
讃美歌: 181(みたまよ、くだりて)、512(わがたましいの したいまつる)

 聖霊に満たされることは、力強い信仰生活を送るために欠かすことの出来ないことである。私達はイエス・キリストを信じて救われていても、しばしば試練に直面する。しかし、聖霊に満たされているなら、試練に遭っても勝利することが出来る。
 私は救われてから、心に喜びや平安が与えられた。聖書を読むこと、主を礼拝すること、讃美することが喜びとなった。後で分かったが、私は知らないうちに聖霊に満たされていたようである。ただ聖霊に満たされることの意味や、その方法を知らなかった。聖霊の働きについての知識が余りなかったのである。そのため、試練に遭うと落ち込むことがあった。他の方もそうかも知れない。そこで今日は、聖霊に満たされることについて、三つの点を確認したい。

1. 聖霊に満たされるとは

 パウロは、聖霊に満たされることを「酒に酔いしれ」ることと対比させている(18節)。それは、この二つが、それに支配されているという点で似ているからである。「酒に酔いしれ」るとは、その人が酒に支配されていることである。それに対し、聖霊に満たされるとは、その人が聖霊に支配されていることである。
 私達はイエス・キリストを信じたら、必ず聖霊を受ける。信仰に入ったのに、聖霊が私達の内にお住まいになっていないということは有り得ない。聖霊を受けたことによって、私達は罪から洗いきよめられた。だが、私達の心には自我があり、聖霊が私達を完全に支配するのを拒もうとする。それが心の葛藤であり、また信仰の戦いである。問題は、私達がどれだけ聖霊のご支配を受け入れているかである。
 主なる神は、私達を御心に適う者として用いるために、聖霊を与えて下さった。聖霊に支配されるならば、私達は時が良くても悪くても聖霊のご臨在を体験出来る。

2. 聖霊に満たされるには

(1) 自分の罪を悔い改めること

 私達は、イエス・キリストを信じて罪を赦され、永遠の命を与えられている。しかし日々の生活の中で罪を犯してしまう。罪は、聖霊を悲しませ、聖霊の働きを妨げる。だから、罪を犯してしまったら、すぐに悔い改めて、きよめられることが必要である。

「しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます」(ヨハネの手紙一1章7~9節)。

(2) 自分の人生の支配権を主なる神に明け渡すこと

 私達がイエス・キリストを信じているなら、聖霊が内住されている。そして、或る程度、私達を支配しておられる。しかし、聖霊に満たされるためには、自分の人生の支配権を主なる神に明け渡す必要がある。

「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」(ローマの信徒への手紙12章1~2節)。

 私達の心には生活のコントロールルームがあるが、その部屋を主なる神に明け渡そう。勿論、自分を主なる神に明け渡すのは簡単ではない。しかし、主なる神は私達を救うために、ご自分の御子さえ惜しまずに与えて下さった。

「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました」(ヨハネの手紙一4章9節)。

 だから、私達も、主なる神の愛と恵みに応えて、自分を主なる神にお献げしよう。私達が自分を主なる神に明け渡すなら、聖霊に満たされることは始まっている。

(3) 自分が聖霊に満たされるのを信じること

 私達は「信じて洗礼を受ける者は救われる」(マルコによる福音書16章16節)という主の約束を信じて救われた。同じように、聖霊に満たされるという約束を信じて、自分の罪を告白し、自分を主なる神に献げるならば、私達は聖霊に満たされる。

3. 聖霊に満たされると

(1) 主なる神への讃美、感謝、従順が生まれる

 この手紙を書いている時、パウロは、牢に入れられ、不自由な生活を強いられていた(6章20節)。にもかかわらず、彼は、エフェソの教会の聖徒達に向けて、「主に向かって心からほめ歌いなさい」(19節)、「いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい」(20節)と勧め、自らも主なる神に対して讃美し、感謝し、従っていた。私達は困難な状況の中でこういうことを出来るだろうか。常識的に考えれば無理である。しかし、聖霊に満たされたら、聖霊が私達に力を与えて下さる。

(2) 聖霊の実を結ぶ

「これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません」(ガラテヤの信徒への手紙5章22~23節)。

 聖霊の実とは、聖霊に満たされた人に与えられる、イエス・キリストが持っておられるご性質である。
 私が教会に行くようになったのは、聖霊に満たされたキリスト者に出会ったからである。その方は南部バプテスト連盟によって派遣されたアメリカ人の宣教師だったが、私は「これがクリスチャンというものなのか!」と本当に驚いた。明るく、誠実で、愛情溢れる人柄であった。彼は、私が持っていなかった、愛や喜び、親切、善意などを持っていた。後で分かったが、それは聖霊の実であった。聖霊に満たされると、聖霊の実を結ぶ。

まとめ

 私達が信仰に入った時、主なる神は聖霊を与えて下さった。にもかかわらず、聖霊に支配権を明け渡しきれていない領域はないだろうか。私達の内は、聖霊に支配されて、喜びや平和、善意に満ちているだろうか。主にある人生を送るため、聖霊の満たしを求め続けよう。