聖書日課 詩編119編1~8節(新共同訳 旧約pp.958-959)
第119編は、詩編の中で最も長い詩で、176節にも及ぶ。最も短い第117編が僅か2節しかなかったことと比べると、何と88倍もある。
その上、第119編は、ただ長いだけでなく、技巧的にも優れている。全体が22の段落に分かれている「アルファベットによる詩」(いろは歌)となっている。しかも、各段落は8節ずつ形成され、全ての節が同じヘブライ語のアルファベットで始まっているという、細かな技巧が凝らされている。
しかし、それ以上に大切なのは内容である。中心テーマは、主なる神の教え(掟)の有効性とその意義の探求であり、第119編には、この主題に沿った重要な教えが沢山散りばめられている。
これほど長く、これほど大切な教えが満載の詩をたった1回で終わらせてしまうのは勿体ない。そこで、第119編は細かく区分して丁寧に読んでいきたい。
「(アレフ)いかに幸いなことでしょう/まったき道を踏み、主の律法に歩む人は。いかに幸いなことでしょう/主の定めを守り/心を尽くしてそれを尋ね求める人は。彼らは決して不正を行わず/主の道を歩みます。あなたは仰せになりました/あなたの命令を固く守るように、と。わたしの道が確かになることを願います/あなたの掟を守るために。そうなれば、あなたのどの戒めに照らしても/恥じ入ることがないでしょう。あなたの正しい裁きを学び/まっすぐな心であなたに感謝します。あなたの掟を守ります。どうか、お見捨てにならないでください」(1~8節)。
今日の第1段落(1~8節)では、開口一番「いかに幸いなことでしょう」と、「主の道を歩」む「幸い」が語られている。しかも、その「道」は、単に法則や理論を学んで人生の教訓にするというようなものではなく、詩人が何度も繰り返し「あなた」と呼ぶ、主なる神との親しく深い交わりの中で教えられ、導かれる道であり歩みである。
つまり、「主の道を歩」むとは、何よりもまず主ご自身を慕い求めることであり、主と交わり、主と共に生きることである。そう考えるだけでも、とても安心で、嬉しい気持ちになる。だから、この詩人も、次のような言葉で書き始めたのだろう。
「いかに幸いなことでしょう/まったき道を踏み、主の律法に歩む人は。いかに幸いなことでしょう/主の定めを守り/心を尽くしてそれを尋ね求める人は」。
西原新生バプテスト教会
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