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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 詩編53編

聖書日課 詩編53編(新共同訳 旧約pp.886-887)

「だれもかれも背き去った」世界。人々は皆「腐敗し」、汚れ、「忌むべき行いをする」世界。どうしてそのような世界になってしまったのか。それは、「神を知ら」ず、「神などない」と主なる神を無視したことに原因がある。

「神を知らぬ者は心に言う/『神などない』と。人々は腐敗している。忌むべき行いをする。善を行う者はいない。神は天から人の子らを見渡し、探される/目覚めた人、神を求める人はいないか、と。だれもかれも背き去った。皆ともに、汚れている。善を行う者はいない。ひとりもいない。悪を行う者は知っているはずではないか/パンを食らうかのようにわたしの民を食らい/神を呼び求めることをしない者よ。それゆえにこそ、大いに恐れるがよい/かつて、恐れたこともなかった者よ。あなたに対して陣を敷いた者の骨を/神はまき散らされた。神は彼らを退けられ、あなたは彼らを辱めた。どうか、イスラエルの救いが/シオンから起こるように。神が御自分の民、捕われ人を連れ帰られるとき/ヤコブは喜び躍り/イスラエルは喜び祝うであろう」(2~7節)。

 ここで「悪を行う者」と呼ばれているのは、イスラエルに対して「陣を敷」き、「パンを食らうかのように」神の民イスラエル「食ら」った異邦の国の人々を指している。しかし、悪はそれらの異邦の国民だけでなく、神の民イスラエルの中にも広がり蔓延っていた。そのため、イスラエルもまた滅ぼされてしまった。

 だから、「だれもかれも背き去った。皆ともに、汚れている。善を行う者はいない。ひとりもいない」と言われているのは、文字通り、全ての国、全人類のことである。

 しかし、主なる神はイスラエルを見捨てたままにはしておかれなかった。やがて時が満ち、人々が主なる神を求め、主なる神に立ち帰り始めた時、主はイスラエルの民を解放し、再び約束の地シオンに「連れ帰られ」た。そして再び彼らを「喜び躍」る者として下さった。

 それは主なる神がイスラエルに下さった約束の故である。主なる神は決して約束を違える方ではない。つまり、神が神であるからこそ、神の民とされた私達は決して滅び去ることはない。そのような主なる神に愛され、そのような主なる神に守られて生きる平安と喜びを、今新たに心深く覚えたいと思う。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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