第49編は、人の「死」に目を向けさせる。
「人は永遠に生きようか。墓穴を見ずにすむであろうか。人が見ることは/知恵ある者も死に/無知な者、愚かな者と共に滅び/財宝を他人に遺さねばならないということ。自分の名を付けた地所を持っていても/その土の底だけが彼らのとこしえの家/代々に、彼らが住まう所。人間は栄華のうちにとどまることはできない。屠られる獣に等しい」(10~13節)。
人間が死ぬべき存在であることを知らない人はいないだろう。しかし、病気でもしない限り、或いは近しい人と死別でもしない限り、私達は「死」を余り意識することはない。考えてもしょうがない、という人も多いだろう。
しかし、聖書は、はっきり「死」について教えている。「死」は主なる神との交わりの断絶であり、罪の結果もたらされた呪いであると(創世記3章、ローマの信徒への手紙6章23節)。それ故、この世でどんなに多くの財宝を手に入れても、どんなに豊かな知恵を得たとしても、また、どんなに強い権力を手に入れたとしても、罪が贖われて主なる神との交わりを回復しない限り、人は皆死んでいく。
「これが自分の力に頼る者の道/自分の口の言葉に満足する者の行く末」(14節)。
人間の知恵や「力に頼」ることの空しさと儚さを思わされる。しかし、それが分かったからこそ、私達は主なる神に目を留め、心を向けることが出来るのではないか。
「しかし、神はわたしの魂を贖い/陰府の手から取り上げてくださる」(16節)。
人間の知恵と力に対する絶望が、主なる神への信仰と希望に私達を導く。その時、私達はこの詩の作者と共にこう告白することが出来るだろう。
「わたしの口は知恵を語り/わたしの心は英知を思う。わたしは格言に耳を傾け/竪琴を奏でて謎を解く。災いのふりかかる日/わたしを追う者の悪意に囲まれるときにも/どうして恐れることがあろうか/財宝を頼みとし、富の力を誇る者を」(4~7節)。
真に頼るべき方に頼り、真に誇るべき方を誇る者の強さがここにある。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの憐れみと慈しみの中に置いて下さり、御前に引き出して下さったことを心から感謝致します。
主よ、あなたの御子イエス・キリストだけが私達を死から救うことのお出来になる方です。あなたの御子イエス・キリスト以外に救いはありません。御子だけが、私達の罪の代価を尊い十字架の血潮によって支払い、私達の霊を買い戻して下さいました。御子の贖いによって、私達は救われ、聖められ、天国の祝福に入れていただきました。
主よ、あなたをほめたたえます。滅び失せる獣に等しかったこの私を神の子として下さったのはあなたです。
主よ、まだあなたを知らず、死の影に怯えるお一人お一人に、あなたご自身が語りかけて下さい。お一人お一人の霊の耳を開き、あなたの御声を聞くことが出来ますよう、助けて下さい。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
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