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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 詩編45編

聖書日課 詩編45編(新共同訳 旧約pp.878-879)

 表題に「愛の歌」とあるが、この第45編は、宮廷の詩人が王の結婚式を祝って歌ったものと言われている。どの王の結婚を祝ったかについては諸説ある。しかし、ダビデ王家の血筋、即ちやがてメシアを生み出す南ユダ王国の王であることは一致している。

「【指揮者によって。「ゆり」に合わせて。コラの子の詩。マスキール。愛の歌。】心に湧き出る美しい言葉/わたしの作る詩を、王の前で歌おう。わたしの舌を速やかに物書く人の筆として。あなたは人の子らのだれよりも美しく/あなたの唇は優雅に語る。あなたはとこしえに神の祝福を受ける方」(1~3節)。

「神よ、あなたの王座は世々限りなく/あなたの王権の笏は公平の笏。神に従うことを愛し、逆らうことを憎むあなたに/神、あなたの神は油を注がれた/喜びの油を、あなたに結ばれた人々の前で」(7~8節)。

「わたしはあなたの名を代々に語り伝えよう。諸国の民は世々限りなく/あなたに感謝をささげるであろう」(18節)。

 その意味で、この詩は単に目に見える地上の王の結婚を祝う詩であるというだけでなく、霊的な意味で、メシア詩編の一つとして解釈されることもある。つまり、王と王妃の結婚を、旧約的にはメシアとイスラエル、新約的にはキリストと教会の結婚として解釈するのである。

 私は、第一義的には、実際の王と王妃の結婚を祝った詩であると考えるが、その王をお立てになるのは主なる神であり、王の権威と力の根拠が、主なる神による油注ぎにある点に目を留めたいと思う。そこには2つの大切な意味が込められているからである。

 一つは、主なる神の選びにこそ「祝福」と権威、そして栄光の源があるということである。主なる神は人間を「祝福」し、繁栄させて下さる御方である。それ故、主なる神こそ真にほめたたえられるべき方である。

 もう一つは、地上の権威の源が主なる神にあるとすれば、人間と人間の権威を決して絶対化したり偶像化してはならないということである。個人的な意味でも国家的な意味でも、人間と人間の権威を絶対化すると必ず大きな悲劇が起こる。たとえどんなに大きな力を持とうとも、主なる神の御前にひれ伏すことを知っていることが、最高の祝福であり知恵であることを忘れてはならない。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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