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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 詩編25編

聖書日課 詩編25編(新共同訳 旧約pp.855-856)

 第25編は、自己の罪を自覚して、主なる神の御前に謙り、赦しと助けを願い求める祈りの歌である。

 ダビデは、「罪」のために「貧しさ」「孤独」に陥り、悩んでいた。敵から激しい攻撃を受け、「恥」と痛みの中にあったダビデは、ただひたすら「主に目を注い」だ。

「わたしはいつも主に目を注いでいます。わたしの足を網から引き出してくださる方に。御顔を向けて、わたしを憐れんでください。わたしは貧しく、孤独です。悩む心を解き放ち/痛みからわたしを引き出してください。御覧ください、わたしの貧しさと労苦を。どうかわたしの罪を取り除いてください。御覧ください、敵は増えて行くばかりです。わたしを憎み、不法を仕掛けます。御もとに身を寄せます。わたしの魂を守り、わたしを助け出し/恥を受けることのないようにしてください。あなたに望みをおき、無垢でまっすぐなら/そのことがわたしを守ってくれるでしょう。神よ、イスラエルを/すべての苦難から贖ってください」(15~22節)。

 償いようのない罪というものがある。いや、罪は本来、どうやっても償うことが出来ないものである。罪を自覚するというのは、そういうことであるに違いない。だからこそ、真に自らの罪を自覚した時、私達は主イエス・キリストの十字架を仰ぎ見るほかなくなる。

「主よ、わたしの魂はあなたを仰ぎ望み/わたしの神よ、あなたに依り頼みます」(1~2節)。

 これは、自らの罪を深く自覚した者の、心の奥底からの告白であり祈りである。主なる神は、このような真実な告白と願いに耳を傾け、赦しと癒しと救いをお与え下さる方である。そして、再び「恥を受けること」のないように、守り導いて下さる。

 もし今、あなたの心に罪が指し示されているなら、主を「仰ぎ望」んで告白し、赦しと癒しと守りを祈り求めていただきたい。主は、あなたが告白した瞬間に、赦しと助けと癒しをお与え下さり、あなたの心を平安で満たして下さる。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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