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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 詩編15編

聖書日課 詩編15編(新共同訳 旧約p.845)

 第15編には、詩編における人間の生き方の理想像が描かれている。

「【賛歌。ダビデの詩。】主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り/聖なる山に住むことができるのでしょうか。それは、完全な道を歩き、正しいことを行う人。心には真実の言葉があり/舌には中傷をもたない人。友に災いをもたらさず、親しい人を嘲らない人。主の目にかなわないものは退け/主を畏れる人を尊び/悪事をしないとの誓いを守る人。金を貸しても利息を取らず/賄賂を受けて無実の人を陥れたりしない人。これらのことを守る人は/とこしえに揺らぐことがないでしょう」(1~5節)。

 ここまで読んで、「私は全くそのように生きている」と言える人は、どれほどいるだろうか。自分を正直に顧みれば、誰もこの基準通りに生きているなど言えなくなってしまうのではないか。

 では、何のためにこのような基準が記されているのだろうか。

 一つは、私達に生き方の目標を与えるためである。どのように行動すべきかという基準を持つことで、私達の言動には指針と秩序が与えられる。それによって私達の言動が正され、高められる。

 また、このような基準のもう一つの目的は、私達が、自分の罪を知り弱さを知ることで、主なる神の赦しと救いの必要性に気付き、謙って、主の恵みに依り頼んで生きるようになることである。つまり、これらの高い基準は、私達を主なる神ご自身に近づける役割を果たしている。

 第15編は、このような問いかけをもって始まっている。

「主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り/聖なる山に住むことができるのでしょうか」

 ダビデが切に求めたもの、それは権力でも、財産でも、名声でもなかった。ダビデは何よりも、主の「幕屋に宿」ること、即ち、主と共にあり、主と共に生きることを願い求めた。ここに人間にとっての真の平安と幸福の源がある。

「人よ、何が善であり/主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し/へりくだって神と共に歩むこと、これである」(ミカ書6章8節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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