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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 詩編8編

聖書日課 詩編8編(新共同訳 旧約p.840)

 第8編は、主なる神への賛美で始まり、主なる神への賛美で終わる〈賛美の詩編〉である。3節に「幼子、乳飲み子の口によって」とあるように、主なる神への賛美は理屈を超えた素直な信頼から生まれるものであることが分かる。詩編は、そのような主なる神への信頼と賛美に満ち溢れる書である。

「主よ、わたしたちの主よ/あなたの御名は、いかに力強く/全地に満ちていることでしょう。天に輝くあなたの威光をたたえます/幼子、乳飲み子の口によって。あなたは刃向かう者に向かって砦を築き/報復する敵を絶ち滅ぼされます」(2~3節)。

 4節から9節で、ダビデは、天を仰ぎ、「月」「星」を創造された主なる神の御業に驚嘆している。しかし、それ以上にダビデを驚かせたことは、そのような広大な宇宙を造られた主なる神が、小さな存在である「人間」に目を「留め」「顧みてくださ」っているという事実である。

「あなたの天を、あなたの指の業を/わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。そのあなたが御心に留めてくださるとは/人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう/あなたが顧みてくださるとは。神に僅かに劣るものとして人を造り/なお、栄光と威光を冠としていただかせ/御手によって造られたものをすべて治めるように/その足もとに置かれました。羊も牛も、野の獣も/空の鳥、海の魚、海路を渡るものも」(4~9節)。

 しかも、主なる神は、「御手によって造られたものをすべて治めるように」と、被造物を人間の「足もとに置かれ」た。つまり、人間は、主なる神の愛と知恵をもって万物を「治める」べき存在とされたのである。

 ところが、人間は、主なる神に反逆し、罪に陥ったため、「栄光と威光」「冠」は取り去られ、被造物を治める愛と知恵を失ってしまった。そのため被造物は虚無に服すようになってしまっている。今世界中に広がっている自然破壊も、その顛末の一つと言えるだろう。「被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます」パウロは言っている(ローマの信徒への手紙8章19節)。つまり、私達人間が主なる神に立ち帰って救われることは、全被造物にとっての救いであり、悲願であり、希望でもある。

「神よ、天の上に高くいまし/栄光を全地に輝かせてください」(詩編57編12節)。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの圧倒的な恵みと憐れみの中に私達を置き、御前に引き出して下さったことを心から感謝致します。

 主よ、この弱さの中にある者、罪深い者にあなたは御目を注いで下さいます。「私はお前を尊いものとして創造した。私の姿を映すものとして創造した」と。

 私は、自分の現実とあなたの御心の間にある余りにも大きなギャップに戸惑います。しかし、あなたは、私を創造された方、そして私をもう一度造り直し、あなたの御心に従って歩む生涯をお与えになる方です。

 主よ、あなたの温かい御手の中に、この存在の全てをお委ねすることが出来ますよう、助けて下さい。お導き下さい。

 今日も尊いあなたの子供達を支えて下さい。お一人お一人が自分の尊さを知り、あなたの姿を映す鏡としての生涯を歩むことが出来ますよう助けて下さい。

 痛みの中にある方を特に覚え、今日一日背負って下さい。共に泣き、共に涙を流して下さっているあなたの背中で休むことが出来ますよう、お一人お一人を支えて下さいますよう、心からお願い致します。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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