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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ヨブ記31章

聖書日課 ヨブ記31章(新共同訳 旧約pp.814-816)

 31章は、ヨブの最終弁論の締め括りの章である。これまでヨブは、29章で過去の繁栄と祝福を語り、30章で現在の苦難を語った。そして本章で、自分の身の潔白を確信をもって主の前に主張している。

 ヨブは、姦淫の罪を犯したことはなく(7~12節)、「奴隷たち」「やもめ」「みなしご」のような社会的弱者を軽んじたこともなかった(13~23節)。また、金銀に頼ったり(24~25節)、「太陽」「月」を拝んだりしたこともなく(26~28節)、更には敵の「不幸を喜」んだり(29節)、人に「呪いをかけ」るようなこともしたことはなかった(30節)。それどころか常に雇い人に与え(31節)、「いつも旅人」をもてなした(32節)。

 このように、ヨブは主の僕として正しく生き、正しく行ってきた。しかし、そのヨブは今、苦難のどん底に陥れられていた。それは、ヨブにとって、どう考えても謂れのない苦難であった。

 何故主の僕として正しく生きて来た自分がこのような苦しみを受けるのか? そして、何故主なる神はこれらのことについて沈黙しておられるのか?

 ヨブは、どうしてもその理由を主なる神から聞きたかった。そして、その理由を一向に教えて下さらない主なる神と「対決」しようとさえしていた。

「どうか、わたしの言うことを聞いてください。見よ、わたしはここに署名する。全能者よ、答えてください。わたしと争う者が書いた告訴状を/わたしはしかと肩に担い/冠のようにして頭に結び付けよう。わたしの歩みの一歩一歩を彼に示し/君主のように彼と対決しよう」(35~37節)。

 実は、ここにヨブの問題があった。ヨブは自分の身の潔白を主張する余り、自分を主なる神と同等に論じ合える者としてしまっていたからである。確かにヨブは、主に信頼される僕として、主なる神と親しい交わりを持っていた。主なる神はヨブを信頼し、ヨブも主なる神を信頼していた。

 しかし、だからと言って、人間が主なる神の御心の全てを知ることはない。私達が主なる神について知っていることは、主なる神のごく一部分でしかない。だから、たとえ理解出来ないことがあるからと言って、主なる神を訴えたり、主なる神と同等に論じ合おうとするのは、やはり慎むべきことである。

 勿論、ヨブの苦しみの深さを考えれば、そうなっても仕方がないように思う。それでもやはり、人はどこまでも主なる神の御前にひれ伏し、仕える立場から離れてはならない。

「命に溢れてこの地に住む者はことごとく/主にひれ伏し/塵に下った者もすべて御前に身を屈めます。わたしの魂は必ず命を得、子孫は神に仕え/主のことを来るべき代に語り伝え/成し遂げてくださった恵みの御業を/民の末に告げ知らせるでしょう」(詩編22編30~32節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

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