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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ヨブ記15章

聖書日課 ヨブ記15章(新共同訳 旧約pp.794-795)

 ヨブ記は、ここからヨブと3人の友人達の第2の対話に入る。対話の口火を切ったのは、「テマン人エリファズ」だった。

 エリファズが最初にヨブに語りかけた時には、まだヨブへの気遣いが伺えた(4章)。しかし、友人達の因果応報に基づく考えを一向に受け入れようとしないヨブに対し、最早気遣いは消え去り、彼らの言葉は厳しい意見と激しい非難の応酬のような状況に陥っていった。

「テマン人エリファズは答えた。知恵ある者が空虚な意見を述べたり/その腹を東風で満たしたりするであろうか。無益な言葉をもって論じたり/役に立たない論議を重ねたりするであろうか。あなたは神を畏れ敬うことを捨て/嘆き訴えることをやめた。あなたの口は罪に導かれて語り/舌はこざかしい論法を選ぶ。あなたを罪に定めるのはわたしではなく/あなた自身の口だ。あなたの唇があなたに不利な答えをするのだ」(1~6節)。

 エリファズは、ヨブが「神を畏れ敬うことを捨て」たと非難し、ヨブの語る言葉は「罪に導かれて」いると決め付けた。更に、「あなたの知っていることで/わたしたちの知らないことがあろうか。わたしたちには及びもつかないことを/あなたが悟れるというのか。わたしたちの中には白髪の老人もあり/あなたの父より年上の者もある」と言って(9~10節)、彼は、ヨブよりも自分達の方が知恵も経験も豊富であると主張した。

 最初のうちは余裕をもってヨブに語りかけていたエリファズも、次第にヨブに苛立ちを覚え始め、遂に憤って、本音を露にしてしまった。エリファズは、ヨブよりも自分の方が上だと考えていたのである。

 このように、人の上に自分を置く者は、自分の言うことを素直に聞く者には優しく丁寧に接するが、そうでない者には苛立ちと憤りを示す。しかも、それを主なる神の知恵であるとしてしまう。しかし、そこには主なる神の深い忍耐と憐れみの心はなく、ただ自分の思いだけが表されている。その根底には自分の方が上だという隠された誇りがある。

 これは、主イエス・キリストと正反対のあり方である。イエス・キリストは、病める人、貧しい人、苦しむ人と共におられた。それは主の恵みと謙りによる祝福である。私達もその祝福に与った。それ故、私達もイエス・キリストのあり方に倣う者でありたいと思う。

「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、…互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです」(フィリピの信徒への手紙2章3節、5節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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