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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ヨブ記11章

聖書日課 ヨブ記11章(新共同訳 旧約pp.788-789)

 遂に3人目の友人「ナアマ人ツォファル」が口を開いた。彼は最初から激しい口調でヨブを非難した。それは、ヨブの激しい言葉に反応したものと思われる。信仰の故とはいえ、やはり激しさは激しさを生み出す。

「ナアマ人ツォファルは話し始めた。これだけまくし立てられては/答えないわけにいくまい。口がうまければそれで正しいと/認められるだろうか。あなたの無駄口が人々を黙らせるだろうか。嘲りの言葉を吐いて/恥をかかずに済むだろうか」(1~3節)。

 ツォファルも、他の2人の友人と同じく、ヨブの苦難をヨブの罪の故の裁きであると主張した。そして、ヨブに悔い改めを勧めた。

「もし、あなたも正しい方向に思いをはせ/神に向かって手を伸べるなら、また、あなたの手からよこしまなことを遠ざけ/あなたの天幕に不正をとどめないなら、その時こそ/あなたは晴れ晴れと顔を上げ、動ずることなく/恐怖を抱くこともないだろう」(13~15節)。

 ツォファルも、ヨブのことを全く思っていなかったわけではない。ヨブの回復と再興を願っていた。しかし、そのためには、ヨブが罪を捨てて主なる神に立ち帰らなければならないと主張した。それは全くの誤解であり完璧な決め付けであるにもかかわらず、彼自身には全くそのことが分からない。ここに人間の認識の頑固さと愚かさを見ることが出来る。私達は、常に主なる神に心を向け、主なる神から正しい認識と判断をいただくことが大切である。

「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか」(ルカによる福音書6章41~42節)。

「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される」(ルカによる福音書6章37節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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