「地上における人生で大切なこと」
地上における人生は永遠の人生における影である。地上での人生がほんの僅かであるのに対し、永遠の人生は永遠に続く。実際、聖書では、地上での人生は「影」と言われている。
「わたしたちはほんの昨日からの存在で/何も分かってはいないのだから。地上での日々は影にすぎない」(ヨブ記8章9節)。
「短く空しい人生の日々を、影のように過ごす人間にとって、幸福とは何かを誰が知ろう。人間、その一生の後はどうなるのかを教えてくれるものは、太陽の下にはいない」(コヘレトの言葉6章12節)。
それ故、地上における短い人生で大切なのは、イエス・キリストを信じ、イエス・キリストのために生きることである。「もうちょっとしてからでいい」とか「死ぬ前に信じたらいい」などと思うべきではない。自分の最期がいつ訪れるか、最期に信じることが出来るか、どうして分かるだろう。イエス・キリストを信じて罪と悲惨と呪いから救い出されるのは、早い方が良いに決まっている。「刑務所から出るのはもう少し後でいい」などと言う囚人がいるだろうか。イエス・キリストを信じていない全ての人は、悪魔の支配という牢獄の中にいる霊的な囚人である。
イエス・キリストは「信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける」と言われている(マルコによる福音書16章16節)。だから、私達教会は、一人でも多くの日本人がイエス・キリストへの信仰に入るよう、これからも日本において伝道し、更にイエス・キリストを証ししていこう。もし伝道しなければ、どうして日本人が信仰に入れるだろう。使徒パウロが「信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう」と述べている通りである(ローマの信徒への手紙10章14節)。