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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ヨブ記7章

聖書日課 ヨブ記7章(新共同訳 旧約pp.783-784)

 理由の分からない激しい苦しみの中で、ヨブは主なる神に向かって訴え叫んだ。友人エリファズの言葉に対して答えている筈なのに、ヨブの意識は、目の前の友人を越えて主なる神へと向かっていた。彼は心の奥底から主なる神との対話を求めていた。そこにこそ、真の苦しみからの解放の道があったからである。

「もうたくさんだ、いつまでも生きていたくない。ほうっておいてください/わたしの一生は空しいのです。人間とは何なのか。なぜあなたはこれを大いなるものとし/これに心を向けられるのか。朝ごとに訪れて確かめ/絶え間なく調べられる。いつまでもわたしから目をそらされない。唾を飲み込む間すらも/ほうっておいてはくださらない。人を見張っている方よ/わたしが過ちを犯したとしても/あなたにとってそれが何だというのでしょう。なぜ、わたしに狙いを定められるのですか。なぜ、わたしを負担とされるのですか。なぜ、わたしの罪を赦さず/悪を取り除いてくださらないのですか。今や、わたしは横たわって塵に返る。あなたが捜し求めても/わたしはもういないでしょう」(16~21節)。

 この叫びの中で、ヨブは、主なる神が「人を見張っている方」であると述べている。主なる神が目を留めて下さることは、本来なら恵みと愛の表れとして喜ぶべきことである。しかし、今ヨブにとって主なる神は自分に敵対する存在となってしまったため、愛し見守る主なる神の目は咎め見張る目に変わってしまっていた。

 勿論、それはヨブ自身の主なる神に対する受けとめ方によるものであった。激しい試練の中で、いつしかヨブにとって、主なる神は自分を見張り、敵対する方としか思えない存在となってしまっていた。それ故、主なる神の目は、愛から恐怖へ、安心から不安へと変わってしまった。

 相手の言動が自分にとってどのように思えるかは、自分が相手をどのように受けとめているかによって影響される。相手に不信感を抱く時、その相手の言動の全てが疑わしいものに見えてくる。それ故、人の言動が気になってしようがない時、まず自分が相手をどのような目で見ているかを点検してみることが大切である。そして、何よりも大切なのは、主なる神がいつも私達を愛と恵みの目で見守っていて下さると信じることである。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ書43章4節(新改訳))。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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