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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ネヘミヤ記12章

聖書日課 ネヘミヤ記12章(新共同訳 旧約pp.758-760)

〈喜び〉…本章を一言で表すなら、これが最もぴったりくる言葉であるに違いない。

 それは、70年にわたるバビロン捕囚から解放された民が約束の地に帰還して以来、実に80年以上にもわたって希求されてきたエルサレムの城壁が完成したという喜びである。しかも、それは、外からの執拗な妨害工作や、内側の諸問題を乗り越えて、52日間という驚くべき短期間で見事に完成に至った故の喜びだった。

 しかし、この喜びは、単に人間の努力と頑張りによるものではない。聖書が記しているように、これは主なる神が「お与え」下さった喜びである。

「その日、人々は大いなるいけにえを屠り、喜び祝った。神は大いなる喜びをお与えになり、女も子供も共に喜び祝った。エルサレムの喜びの声は遠くまで響いた。その日、礼物と初物と十分の一の供出物を蓄える収納庫の監督が任命された。こうしてそこに、律法が定めているように、祭司とレビ人の生活の糧を、町々の耕地から徴集して納めた。実にユダの人々は、祭司とレビ人の働きを喜んでいた」(43~44節)。

 つまり、それは、主なる神が約束を誠実に果たされた故の喜びであり、主なる神の導きと守り、助けと励ましがあってこその喜びだった。

 この主なる神が与えて下さった喜びは、一部の人だけのものではない。「女も子供も」エルサレム中の人々が「共に」味わうことの出来る喜びだった。しかも、この喜びは、エルサレムから「遠く」離れた所まで届けられた。

 それだけではない。45節に「祭司とレビ人は神への務めと清めの務めを守り、詠唱者と門衛はダビデとその子ソロモンの定めによく従った」とあるように、この喜びは、熱心かつ忠実な奉仕を生み出した。更に、47節にイスラエルの民は皆、毎日詠唱者と門衛に生活の糧を提供した。また、レビ人には奉納物を与え、レビ人はその奉納物をアロンの子らに分け与えた」と記されているように、支援と分かち合いの心をも湧き上がらせた。

 主なる神がお与え下さる喜びに溢れて生きるのは、本当に素晴らしいことである! これこそ、私達に対する主なる神の御心そのものである。

「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」(フィリピの信徒への手紙4章4節)。

祈り

 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな憐れみ、深い慈しみの中に私達を置き、御前に引き出して下さったことを心から感謝致します。

 主よ、捕囚から解放された人々が、礼拝の復興のためにどれだけ自分の生活をあなたに献げて生きていたかを思います。あなたに礼拝を献げることこそ、彼らの存在の基盤でした。同じように、私達もあなたを礼拝することなしに、この存在の意味を知り、この存在を支えられることはありません。礼拝を通してのみ、私達はあなたを仰ぎ見、あなたに命と喜びを注いでいただくのですから。

 主よ、この地に礼拝を確立していくために、この僕がなさなければならないこと、あなたの御前に献げていかなければならないものを示して下さい。あなたのご指示に忠実に従うことが出来るよう、導き、力づけて下さい。今まだ、礼拝の力と喜びを知らずに生きている、尊いあなたの子供達を集めることが出来るよう、この小さな者をお使い下さい。

 どうか、礼拝から遠ざかっているお一人お一人を顧みて下さい。礼拝者としての輝きと尊厳を与えられて生きることが出来ますよう、喜びの声を心からあなたに向かって上げることの出来る幸いをお一人お一人に満たして下さいますよう、心からお願い致します。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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