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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 歴代誌下18章

聖書日課 歴代誌下18章(新共同訳 旧約pp.691-694)

 南北分裂以後、両者には絶えず緊張関係が続いてきた。しかし、ヨシャファトの治世になって南北融和へと転換した。「アハブとも姻戚関係を結んだ」というのは(1節)、ヨシャファトの息子ヨラムと北イスラエルの王アハブの娘アタルヤの婚姻のことである(列王記下8章18節)。

 南北の王が親戚筋となったことに乗じて、アハブはアラムの支配下にある「ラモト・ギレアドに攻め上ろうと誘」い、ヨシャファトの加勢を要請した(2節)。

 ヨシャファトはこの戦争が主なる神の御心に適うことなのか、「まず主の言葉を求めてください」とアハブに言った(4節)。主の御心を求める姿勢は大切である。しかし、問題はこの後である。

 アハブ王の周りにいたのは彼にとって都合の良いことを語る預言者ばかりだった。彼らは、アハブ王に嫌われたくないので、彼の喜ぶようなことを預言していた。彼らは、主なる神の御心を語る者ではなく、アハブの心の代弁者であった。

 本来、預言は、主なる神の御〈言〉葉を〈預〉かることである。だから、王の喜びそうなことを意図的に語るのは偽りの預言である。

 王宮お抱えの「四百人の預言者は、今回の戦争は主なる神の御心に適っており、必ず勝利すると預言した(5節)。しかし、ヨシャファトは不審に思い、「ここには、このほかに我々が尋ねることのできる主の預言者はいないのですか」とアハブに尋ねた(6節)。

 実はいた。それはミカヤという預言者である。

 しかし、ミカヤはアハブ王から嫌われていた。アハブはミカヤについてこう語っている。

「もう一人、主の御旨を尋ねることのできる者がいます。しかし、彼はわたしに幸運を預言することがなく、いつも災いばかり預言するので、わたしは彼を憎んでいます」(7節)。

 牧師は時々誘惑を受ける。それは人々が喜ぶことを語ろうとする誘惑である。人から嫌われたくないし、良い牧師だと思われたいために、人が嫌がることを語らず、都合の良いことを語ろうとする誘惑である。

 逆に、教会員が自分に都合の良い話を牧師に要求したら、メッセージが歪んでくる。主なる神の御心を正しく語ることが出来なくなる。

 アハブは都合の良いことを聞きたかった。預言者たちはアハブに〈忖度〉して、彼の気に入ることを語ろうとした。しかし、このようなことを続けていたら、何が主なる神の御心なのか分からなくなり、惑わされるようになる。

 宮廷お抱えの預言者が「今回の戦争は御心だ。勝利出来る」と何故預言したのか。そこに至るまでの天における経緯を、預言者ミカヤが説き明かしている。

「だが、ミカヤは続けた。『主の言葉をよく聞きなさい。わたしは主が御座に座し、天の万軍がその左右に立っているのを見ました。主が、『イスラエルの王アハブを唆し、ラモト・ギレアドに攻め上らせて倒れさせるのは誰か』と言われると、あれこれと答える者がいましたが、ある霊が進み出て主の御前に立ち、『わたしが彼を唆します』と申し出ました。主が、『どのようにそうするのか』とただされると、その霊は、『わたしは行って、彼のすべての預言者たちの口を通して偽りを言う霊となります』と答えました。主は、『あなたは彼を唆して、必ず目的を達することができるにちがいない。行って、そのとおりにせよ』と言われました。今御覧のとおり、主がこのあなたの預言者たちの口に偽りを言う霊を置かれました。主はあなたに災いを告げておられるのです』」(18~22節)。

「ある霊」とは天使のことである。預言者は天使が伝えてくれる主なる神のメッセージを受け取って、それを語る。しかし、ここでは、その天使が「偽りを言う霊」となったというのである。

 新約の時代においても自戒すべき事柄である。何故なら、聖書は次のように告げているからである。

「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい」(テモテへの手紙二4章2~5節)。

「自分に都合の良いことを聞こうと」する時代、それは、キリスト信仰が人間中心主義(ヒューマニズム)に汚染され、教会が〈良い話〉を聞ける〈宗教〉に成り下がってしまう時代である。

 西原新生バプテスト教会の宣教が、「折が良くても悪くても」、人からの評判が良くても悪くても、主なる神の御言葉を水増しせず、また、御言葉の意味を間引きせず伝えるものであり続けることを祈り求めている。皆様も祈りに覚えていただければ幸いである。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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