聖書日課 歴代誌下9章(新共同訳 旧約pp.681-683)
ソロモン王の知恵と「名声」は当時の世界に知れ渡っていた。その繁栄を一目見ようと、多くの来訪者があった。その中に「シェバの女王」の訪問も記録されている(1~9節)。
ソロモン時代の繁栄はイスラエルの歴史で最高の栄華であった。当時のイスラエルの歳入は膨大な金額だった。年間「六百六十六キカル」の金が入ってきた。
「ソロモンの歳入は金六百六十六キカル、そのほかに隊商や商人の納める税金があり、アラビアのすべての王や地方総督もソロモン王に金銀を納めた」(13~14節)。
旧約の時代、主なる神は物質的な富をもって祝福をお示しになった。しかし、主なる神が物質的な富を通して目を向けさせようとされたのは、天における祝福である。
だから、ソロモンは、これほどの富を得たにもかかわらず、次のように告白している。
「コヘレトは言う。なんという空しさ/なんという空しさ、すべては空しい」(コヘレトの言葉1章2節)。
また、彼はその富をもってありとあらゆることを経験してみた。物欲、食欲、性欲など欲するところを満たしてみた。その記録がコヘレトの言葉2章に詳しく記されている。そして、その結論は次のようなものであった。
「しかし、わたしは顧みた/この手の業、労苦の結果のひとつひとつを。見よ、どれも空しく/風を追うようなことであった。太陽の下に、益になるものは何もない」(同2章11節)。
ソロモンは真の豊かさとは何かを問うた。そして、それは「神を畏れ、その戒めを守」ること(同12章13節)、主なる神にある交わり、霊的豊かさにあると告白して、コヘレトの言葉を閉じている。事実、その後のイスラエルは、物質的な富の空しさを証しするように衰退していく。
その点で、ソロモンが毎年得た金の歳入が「六百六十六キカル」であったという記録も興味深いものがある。
聖書では〈7〉は完全数、聖なる数として、〈6〉は不完全を意味する数字として用いられている。
ヨハネの黙示録には「反キリスト」(「獣」)と呼ばれる人物が登場し、彼は主なる神に刃向かう権力者として描かれている。この「獣」について次のように記されている。
「ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である」(ヨハネの黙示録13章18節)。
彼は主なる神のように振る舞うけれども主なる神ではない。そのことを示すために〈666〉と表現されている。
ソロモンが手にした莫大な富も、天にある本物の豊かさと比べれば、取るに足らないものであるということを示すために、「六百六十六キカル」と記されているのかも知れない。
私達の目も心も、本当の宝が蓄えられている天に向けよう。
「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」(コリントの信徒への手紙二4章18節)。
西原新生バプテスト教会
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