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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 サムエル記下14章

聖書日課 サムエル記下14章(新共同訳 旧約pp.501-503)

 義兄アムノンを殺害したアブサロムが、外国の王のもとに「逃げ」「三年」の月日が流れた(13章38節)。

 ダビデは、死んだ「アムノンを悼み続けた」が(同37節)、その死をようやく受け入れられるようになると、今度は外国に逃げ去ったアブサロムに心が向き始めた(同39節)。しかし、この時ダビデは、まだ十分な判断力と決断力を回復するには至っていなかった。

 そのようなダビデの心を察した将軍ヨアブは、一計をめぐらし、一人の女性を用いて、ダビデ王にアブサロムを呼び寄せる決断をさせた(1~24節)。こうして、アブサロムは3年ぶりに祖国に帰って来た。それでも、ダビデ「王の前に出」ることは許されないまま「二年間」が過ぎて行った(28節)。

 その間、アブサロムは2度にわたってヨアブに使者を送り、何とかダビデ王との間をとりもってもらおうとした。しかし、ダビデ王の心が固いのを知ってか、ヨアブはアブサロムの願いに答えようとしなかった(29節)。

 すると、アブサロムは遂にしびれを切らし、「部下に命じ」てヨアブの「大麦の畑」「火を放」たせた(30節)。そして、慌てて「アブサロムの家に来た」ヨアブにこう言った。

「わたしはお前に来てもらおうと使いをやった。お前を王のもとに送って、『何のためにわたしはゲシュルから帰って来たのでしょうか、これではゲシュルにいた方がよかったのです』と伝えてもらいたかったのだ。王に会いたい。わたしに罪があるなら、死刑にするがよい」(32節)。

 アブサロムには、自分の犯した罪に対する反省の思いは全くなかったようである。それどころか、自分を迎え入れておきながら、会うことを許さないままでいる父ダビデに対する苛立ちをあらわにした。

 その一方で、ダビデが、この横暴な息子に対してはっきりとした態度が取れないままでいたこともまた確かである。この時、ダビデはヨアブの報告を聞き入れ、「アブサロムを呼び寄せ」て、「アブサロムに口づけした」(33節)。しかし、それはダビデの本心ではなく、また真の和解の口づけでもなかった。ダビデは、自分達親子の間に横たわる真の問題に向き合っていなかったのである。それ故、問題は更に深くなり、やがて取り返しのつかない状況にまで至ってしまった。

 では、真の問題とは何だろうか。実は、この章には一度も主に祈った記録がない。根本の問題は、親子の問題である前に、彼らが主なる神と向き合うことを先延ばしにしていたことにあったのではないか。全ての問題の解決は、そこにあるのだから。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
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