聖書日課 サムエル記上9章(新共同訳 旧約pp.439-441)
主なる神は、イスラエルの民の求めに応え、彼らに王を与えようとしておられた。
イスラエルの最初の王として選ばれたのは、「サウル」という若者である。
「サウルが来る前日、主はサムエルの耳にこう告げておかれた。『明日の今ごろ、わたしは一人の男をベニヤミンの地からあなたのもとに遣わす。あなたは彼に油を注ぎ、わたしの民イスラエルの指導者とせよ。この男がわたしの民をペリシテ人の手から救う。民の叫び声はわたしに届いたので、わたしは民を顧みる。』サムエルがサウルに会うと、主は彼に告げられた。『わたしがあなたに言ったのはこの男のことだ。この男がわたしの民を支配する』」(15~17節)。
サウルの父は、「キシュ」という名前で、「ベニヤミン族」の「勇敢な男であった」(1節)。また、サウルはとても「美しい若者」で、イスラエルの「民のだれよりも肩から上の分だけ背が高かった」(2節)。
しかも、サウルは、とても親孝行で、「姿を消した」「ろばを捜しに行ってくれ」と父親に頼まれると(3節)、何十キロも離れた所まで、一生懸命に探し歩くような人だった(4節)。つまり、サウルは、家柄、容姿、性格と、三拍子揃った、まさに王として相応しい若者だった。
そう、滑り出しは全て良かった。しかし、その後が大変だった。
サウルは鳴り物入りで王となった。しかし、彼は、間もなく不従順の罪を重ねるようになり、やがて主なる神の声を聞くことも出来なくなり、心を病み、遂に滅び去っていった。それは、サムエルをはじめ、多くの人々を深く苦しませることになった。イスラエルの民は、自ら望んだ王によって、大きな重圧と苦痛を嫌というほど体験することとなってしまったのである。
しかし、それは最初から主なる神が警告しておられたことである(8章11~18節)。主なる神は、主なる神に頼るよりも人間の王を求めたイスラエルの人々に忠告しておられる。だから、イスラエルの人々の苦しみは、主なる神の警告の言葉を無視した彼らが、自らもたらした苦痛であった。
どの声に聞き従うか、それはとても重大な選択である。あなたは、主なる神の声に聞き従うか。それとも、自分の声、世間の声、サタンの声に聞き従うか。主なる神の声を聞き分ける耳と、その声に聞き従う心を養い保ちたいものである。
西原新生バプテスト教会
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