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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えます。

聖書日課 士師記10章

聖書日課 士師記10章(新共同訳 旧約pp.399-400)

 ギデオン一族の盛衰の後、トラ、続いてヤイルが士師として立って、イスラエルを治めた(1~5節)。しかし、彼らが死ぬと、イスラエルは再び「主の目に悪とされることを行い」、自分達の主を捨てて異教の「神々に仕え」るようになってしまった(6節)。

「またか!」と言いたくなる。新共同訳は、この箇所に〈イスラエル罪と罰〉という表題を付けている。罪を犯せば、罰を受ける。これは当然のことである。イスラエルは、そのためにペリシテ人とアンモン人の手」によって苦しめられた(7節)。

 しかし、士師記の〈ワンパターン〉は、ここで終わらないところが大切である! この苦しみの中で、イスラエルの人々が主なる神への祈りを取り戻し、主なる神へと立ち帰ると、主なる神は、彼らを憐れみ、彼らに再び助けの手を差し伸べた。

イスラエルの人々は主に言った。『わたしたちは罪を犯しました。わたしたちに対して何事でも御目にかなうことを行ってください。ただ、今日わたしたちを救い出してください。』彼らが異国の神々を自分たちの中から一掃し、主に仕えるようになり、主はイスラエルの苦しみを見るにしのびなくなった」(15~16節)。

「そんなこと、もう知っている!」と言わないでいただきたい。ここで確認したいのは、主なる神が下される罰は、単なる裁きや報復ではなく、どこまでも人々を救うため、赦すため、回復するためのものだということである。主なる神の御心は、いつも救いにあり、赦しにあり、祝福にある。何故なら、主なる神は、人々を祝福したくてしようのない御方であり、イスラエルの苦しみを見るにしのびな」い御方だからである。こういう面をしっかり理解していないと、主なる神が、いつも罪人に罰を下す恐ろしい裁きの神としか見えなくなってしまう。

 今あなたにとって、主なる神はどのような方だろうか。恐ろしい裁きの神だろうか? それとも、慈しみ深く、憐れみに富む、恵みと愛の神だろうか?

 繰り返される士師記のパターンの中に、人間の愚かさを包み込んでしまう主なる神の恵みと愛を再確認したい。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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