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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ヨシュア記15章

聖書日課 ヨシュア記15章(新共同訳 旧約pp.362-364)

 ヘブロンの地を攻め取ることになったカレブは、その戦いにおいて、「キルヤト・セフェルを撃って占領した者に娘アクサを妻として与えよう」と約束した(16節)。

 その結果、「カレブの兄弟、ケナズの子オトニエル」が勝利し、カレブの娘アクサはオトニエルのもとに嫁ぐことになった(17節)。そして、その領地であるネゲブに行くことになった。

 花嫁の父が娘に贈り物をするのは当時の慣わしだった。アクサは「父から畑をもらうようにオトニエルに勧めた」(18節)。

 オトニエルに割り当てられた領土(嗣業)は、ユダの南部にある乾燥した不毛の地だった。そのため、アクサは、耕作のできる「畑」と共に「溜池」(口語訳、新改訳では「泉」)を求めた。

「彼女は言った。『お祝いをください。わたしにネゲブの地をくださるなら、溜池も添えてください。』カレブは上と下の溜池を娘に与えた」(19節)。

 イエス・キリスト「シカル」の井戸でサマリアの女」とお話しになった時のことを思い出す(ヨハネによる福音書4章6~7節)。イエス・キリストはこう言われた。

「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(同14節)。

 不毛の地で必要なのは、「泉」である。枯れることのない「泉」さえあれば、荒れ地を耕すことが出来る。たとえ私達の心が不毛の地のようであっても、そこに「泉」があれば、豊穣の地へと変えられる。

 イエス・キリストが語りかけられたサマリアの女」も、その心は不毛の荒れ地であった。空しさで干からびていた。だから、彼女は「その水をください」と求めた(同15節)。

 あなたは何を求めるだろうか。「アクサ」サマリアの女」のように、汲んでも尽きることのない「泉」を求めるだろうか。

 イエス・キリストを信じる者には、「その人の内」から尽きることのない「泉」が湧き上がる。

 古い自分からは苦い水が湧き上がる。罪によって源泉が汚染されているからである。イエス・キリストを信じるとは、古い自分が葬られ、新しいきよい「泉」を内に与えられることである。

 私達の中に住まわれるイエス・キリストは、「命」を無限に供給して下さる「泉」のような御方である。愛に限界を感じる時、イエス・キリスト「泉」から汲んでも尽きない愛を汲み出すことが出来るように祈り求めよう。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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