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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 申命記14章

聖書日課 申命記14章(新共同訳 旧約pp.303-304)

 自分は何者なのか。どのような存在なのか。このことが明確であれば、生き方もまた明確になる。

 聖書は告げている。

「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。主は地の面のすべての民の中からあなたを選んで、御自分の宝の民とされた」(2節)。

 その直前では「あなたたちは、あなたたちの神、主の子らである」と言われている(1節)。

 主なる神を信じる私達は、「主の聖なる民」であり、「主の子ら」であり、主の「宝の民」である。だから、そのような尊い自分を汚してはならないと主は言われる。

 そこで、主なる神は、〈清い動物と汚れた動物〉を規定することで、民が清い道を選ぶように命じられた。14章には、その〈食物規定〉が記されている。

 汚れた食物を食べると腹痛を起こすというわけではない。清い食物が特別に栄養価が高いというわけでもない。にもかかわらず、主なる神が食物を区別されたのは何故だろうか。

 第一に、自分が「聖なる民」であることの自覚を養うためであった。

 第二に、食物によって異教徒との交流を制限し、その悪影響を受けないようにするためであった。汚れた動物とされているものの中には、異教徒が常食としたり、偶像礼拝の儀礼に使用する動物があった。

 例えば「あなたは子山羊をその母の乳で煮てはならない」と命じられているが(21節)、これは当時カナン地方でなされていた豊穣を祈願する魔術的な手法であった。そのような食事を取り入れたら、異教の神々との交流が生まれる。その結果、邪教の習慣を受け入れるようになる。

 人は親しくなると食事を共にするようになる。しかし、蛇やトカゲを常食とする人が食事に招待してくれても、私はそのような食卓につきたくない。私には蛇やトカゲを食べる習慣がないからである。だから、そのような人との親しい交流は生まれない。

 旧約の食物規定は以上のような機能を持っていた。しかし、新約において、イエス・キリスト「外から人の体に入るものは、人を汚すことができない」と言われた。

「イエスは言われた。『あなたがたも、そんなに物分かりが悪いのか。すべて外から人の体に入るものは、人を汚すことができないことが分からないのか。それは人の心の中に入るのではなく、腹の中に入り、そして外に出される。こうして、すべての食べ物は清められる。』」(マルコによる福音書7章18~19節)。

「すると、また声が聞こえてきた。『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。』」(使徒言行録10章15節)。

 旧約は、口から入る食物によって清さを覚える時代であった。それに対し、新約はどのような〈言葉〉を食べているかによって清さを区別する時代である。主なる神の御言葉を食べて生きているか否かである。

 主なる神の御言葉を受けた者は聖別されている。つまり、「世」から区別されている。主イエス・キリストもこう言われている。

「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないのです。真理によって、彼らを聖なる民としてください。あなたの御言葉は真理です」(ヨハネによる福音書17章15~17節)。

 主なる神の御言葉を食べて生きる人とそうでない人とは、自ずと生き方が違ってくる。区別される。キリスト者は世の人々と区別されることを恐れてはならない。「聖なる民」「主の子ら」「宝の民」としての生き方を恐れずに貫こう。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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