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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 民数記23章

聖書日課 民数記23章(新共同訳 旧約pp.251-253)

 バラムはバラク王の要請に従ってモアブにやって来た。そこでバラク王は、イスラエルの宿営の一端を眺めることの出来る丘にバラムを連れて行き、そこでイスラエルを呪うよう要請した。

 しかし、主なる神がバラムに授けられた言葉はイスラエルへの祝福であった。

「神が呪いをかけぬものに/どうしてわたしが呪いをかけられよう。主がののしらぬものを/どうしてわたしがののしれよう」(8節)。

 バラク王は、話が違うということで、場所を変え、そこでイスラエルを呪うよう求めた。

「わたしと一緒に別の場所に行って、そこから彼らを見てください。見えるのは彼らの一部にすぎず、全体を見渡すことはできないでしょうが、そこからわたしのために彼らに呪いをかけてください」(13節)。

 そこでも、主なる神からの御言葉はイスラエルへの祝福であった。

「見よ、祝福の命令をわたしは受けた。神の祝福されたものを/わたしが取り消すことはできない」(20節)。

 先の22章でも取り上げたように、イスラエルは人の目には失敗の多い問題だらけの民である。お世辞にも立派な民とは言えない。しかし、主なる神はそのような彼らを祝福して止まない。

 教会もそうである。教会はいつも大なり小なり問題を抱えている。立派で完成しているとは言い難い。しかし、主なる神は、そのような教会を祝福して下さっている。主なる神が祝福されたことを誰も「取り消すことはできない」

 主なる神が救うと宣言されたことを、誰が変更出来るだろうか。主なる神が愛すると宣言されたことを、誰が変更出来るだろうか。主なる神は人間のように偽ることなく、悔いることなく、語ったことを必ず成し遂げる御方である。

「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。……だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。……死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」(ローマの信徒の手紙8章31~39節)。

 一時的な困難や暗闇を経験したからといって、主なる神の圧倒的な愛と祝福を疑ってはならない。

 さて、自分の願うようにバラムが預言しないので、バラク王は苛立った。そこで、もう一度場所を変えて祈ることをバラムに提案した。

「それでは、あなたを別の場所に連れて行きましょう。たぶん、それは神が正しいとされ、そこからなら、わたしのために彼らに呪いをかけることができるかもしれません」(27節)。

 バラク王はしつこい。諦めない。悪魔(サタン)も「神の愛から、わたしたちを引き離す」ためなら何でもする。バラク王の姿は、私達の弱点や欠点の粗探しをする悪魔の姿である。

 悪魔はバラク王のように、あの手この手で、私達に欠けている所はないか探ってくる。主なる神の愛から引き離せるような欠点はないか、主なる神の祝福に相応しくない部分はないか、あの丘から、この丘から眺めてくる。

 勿論、私達は欠点だらけである。悪魔に指摘されれば、そこを突破口にして攻め入られるような愚か者である。だからこそ、〈主なる神が私を義とされた〉という事実にしっかりと立っていなければならない。

 自分の正しさを誇ろうとしてはならない。自分の真面目さで悪魔に打ち勝とうとしてはならない。「今や、わたしたちはキリストの血によって義とされた」のだから(ローマの信徒への手紙5章9節)、悪魔が何処から眺めようとも、神の義で覆われていることを忘れてはならない。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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