聖書日課 民数記18章(新共同訳 旧約pp.243-245)
アロンの杖にしるしが現れたことにより、アロンとその子らは「祭司職に関する罪責を負」い(1節)、「レビ族の者たち」は「身近な助け手」として「幕屋全般の務めを果たす」ことが明確に示された(2~3節)。そこで、アロンやその子ら、および「レビ人」(6節)の立場と奉仕、そして報酬が改めて確認された。
イスラエルの各部族は約束の地カナンに入って、部族ごとの「割り当て」地を定められることになる。それを聖書は「嗣業」と呼んでいる。「嗣業」には、単なる相続や報酬を越えた主なる神からの使命という意味合いが含まれている。
しかし、レビ人は土地を嗣業とすることを禁じられた。そして、主なる神はご自分が嗣業であると言われている。
「主はアロンに言われた。『あなたはイスラエルの人々の地のうちに嗣業の土地を持ってはならない。彼らの間にあなたの割り当てはない。わたしが、イスラエルの人々の中であなたの受けるべき割り当てであり、嗣業である』」(20節)。
主なる神に仕える働きは、この世の価値観で見れば割の合わないことである。「見えるものではなく、見えないものに目を注」ぐという価値観が必要である(コリントの信徒への手紙一4章18節)。嗣業が目に見えるものでなかったら不安だろうか。しかし、キリスト者は、土地よりも素晴らしいものを所有している。しかも、永遠に持つことが出来る。
聖書はこう言っている。
「御子を認めない者はだれでも、御父に結ばれていません。御子を公に言い表す者は、御父にも結ばれています」(ヨハネの手紙一2章23節)。
御子イエス・キリストを信じる者は、父なる神とも結ばれている。また、聖書はこうも言っている。
「だれであろうと、キリストの教えを越えて、これにとどまらない者は、神に結ばれていません。その教えにとどまっている人にこそ、御父も御子もおられます」(ヨハネの手紙二1章9節)。
今私達は旧約のレビ人以上に最高の嗣業を得ている。
西原新生バプテスト教会
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