聖書日課 レビ記16章(新共同訳 旧約pp.186-188)
「第七の月の十日」(29節)、イスラエルでは「年に一度」(34節)の一大イベントが行われる。それは〈贖罪日〉と呼ばれ、大祭司が幕屋の「垂れ幕の奥の至聖所に入り」(2節)、全イスラエルの「罪の贖いの儀式」(34節)を執り行う。これは、レビ記のクライマックスとも言える大切な儀式であり、レビ記全体の要でもある。
この日、一匹の「雄山羊」に「イスラエルの人々のすべての罪責と背きと罪」を負わせ、「荒れ野の奥へ追いやる」ことによって(21節)、イスラエルの全ての罪が処理された。
しかし、この日行われる「贖いの儀式」の本質は、「臨在の幕屋」そのものを清めて聖別することにあった(16節、18~20節、33節)。それは、幕屋が聖別され清められることによって、イスラエルの罪もまた清められるためである(30節、34節)。
「贖いの儀式は、聖別の油を注がれ、父の跡を継いで正規の祭司職に任じられた祭司が行うべきである。彼は聖別した亜麻布の衣服を着け、至聖所、臨在の幕屋および祭壇を清め、祭司たちと民の全会衆のために贖いの儀式を行う。これはあなたたちの不変の定めである。年に一度、イスラエルの人々のためにそのすべての罪の贖いの儀式を行うためである。モーセは主のお命じになったとおりに行った」(32~34節)。
臨在の幕屋は、主なる神がイスラエルと共に、イスラエルの只中に住まわれる所であり、神の民の中心、しるしでもある。しかし、それは、幕屋そのものが「人々のただ中にとどまり、さまざまな汚れにさらされている」ということでもある(16節)。そのため、「年に一度」、大祭司によって幕屋全体が聖別され「清め」られる必要があった。
主イエス・キリストは、罪に染まった世に来て下さり、自ら人間の全ての罪と汚れを引き受け、十字架の上で身代わりとなって下さった。主は、ただ一人の真の「大祭司」として、自らの血をもって至聖所に入り、全人類のための罪の「永遠の贖いを成し遂げ」て下さった。それこそが、人類の歴史の中で唯一の真の「贖いの儀式」である。
「けれども、キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです」(ヘブライ人への手紙9章11~12節)。
西原新生バプテスト教会
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