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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 出エジプト記8章

聖書日課 出エジプト記8章(新共同訳 旧約pp.105-106)

 蛙の災い、ぶよの災い、あぶの災いと、主なる神の警告のための災害がエジプトを立て続けに襲った。

 ファラオは、エジプト中に増え広がった蛙の災害に困り果て、一旦はイスラエルの民を去らせると約束した(4節)。しかし、モーセが主なる神に祈り(8節)、災いがなくなると(9節)、ファラオは再び「心を頑迷にして」、約束を無視し、民を去らせなかった。

「ファラオは一息つく暇ができたのを見ると、心を頑迷にして、また二人の言うことを聞き入れなくなった。主が仰せになったとおりである」(11節)。

 続いて、「アロンが杖を持った手を差し伸べ土の塵を打つと、土の塵はすべてぶよとなり、エジプト全土に広がって人と家畜を襲った」(13節)。エジプトの魔術師は、同じ奇跡を起こすことが出来ず(14節)、ファラオに「これは神の指の働きでございます」と進言した。それでもファラオは心を頑なにし、「彼らの言うことを聞かなかった」

「魔術師はファラオに、『これは神の指の働きでございます』と言ったが、ファラオの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞かなかった。主が仰せになったとおりである」(15節)。

 更に、あぶの災害がエジプト中を襲うと(20節)、主なる神は、イスラエル「民の住むゴシェン地方」だけは、あぶが襲わないように区別して下さった(18節)。ファラオは、堪りかねて、イスラエルの民を荒れ野に行かせようと言った(24節)。しかし、この時も、災いが過ぎ去ると、「心を頑迷にして」約束を覆した。

「しかし、ファラオは今度もまた心を頑迷にして民を去らせなかった」(28節)。

 このように、ここにはファラオの頑なさが記されている。しかし、それは私達自身の姿でもあるように思えないだろうか。今まで私達は、主なる神の警告にどれほど素直に聞き従ってきただろうか。いや、そもそも私達は、主なる神の声を聞こうとしてきただろうか。頑迷なファラオの姿は、そのような自問自答の機会を私達に与えているのではないか。

 しかし、それと共に、これらの災害のもう一つの面を確認しておきたい。それは、これほど頑迷な人間を、主なる神は最後まで見捨てることなく、警告のしるしを与え続けて下さったということである。日本には「仏の顔も三度まで」という諺があるが、主なる神は、3度どころか10回も警告を与えられた。その間、ファラオは何度も何度も心を頑なにし、約束を覆して民を去らせなかった。人間の愚かさ、頑迷さとは対照的に、主なる神の忍耐と憐れみ深さが浮かび上がってくる。私達に対しても、主なる神は忍耐強く、そして憐れみ深くいて下さる。だから今、心に主なる神をお迎えし、その声に耳を傾けてみてはどうだろうか。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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