聖書日課 創世記32章(新共同訳 旧約pp.54-56)
肉的な力では生きていけないことを認め、主なる神に縋る時、初めて霊的な力で生きていく方法を学ぶ。
夜のうちに「二人の妻と二人の側女」、「十一人の子供」に「川を渡らせ」、「持ち物も渡してしまう」と(23~24節)、ヤコブは「ヤボクの渡し」で「独り後に残った」。そして、ヤコブは、主なる神と「夜明けまで」「格闘した」(25節)。
遂に夜が明けると、主なる神は格闘を終えるために「ヤコブの腿の関節を打った」(26節)。しかし、ヤコブは苦痛の中でも主なる神を離さなかった。主なる神が「祝福してくださ」らなければ、生きられないことを知っていたからである。
「『もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから』とその人は言ったが、ヤコブは答えた。『いいえ、祝福してくださるまでは離しません』」(27節)。
霊的な力とは、主なる神と共に歩むことを命を懸けて求める力である。
ヤコブは主なる神から「イスラエル」という名を与えられる(29節)。騙す者として生きていた肉的な存在が、主なる神と共に歩むことを切に求める霊的な存在に変えられたことを認められたのである。霊的な人に変えられたヤコブ、彼こそが神の民イスラエルである。
(2) 主なる神の御顔を見た恵み(29〜32節)
主なる神に会うと、問題は最早問題とはならない。
エサウに会ったら殺されるかも知れないという恐れに囚われていたヤコブの心は、主なる神との格闘を通して回復した。罪人であるヤコブが「顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」ことは(31節)、エサウに会っても命が救われるという主なる神の約束であると言えるからである。
ヤコブは、主なる神の御顔を見た恵みを忘れないために、「その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた」(31節)。たとえ「腿を痛めて足を引きずってい」ても、「太陽は彼の上に昇」り(32節)、ヤコブの人生には夜明けの活気が溢れていた。長い間苦しめられてきた心の重荷から自由になったからである。
主なる神は、暗闇の中で苦しんでいる人に対し救いの光となられる。
祈り
愛する天のお父様、人と格闘するのを止め、あなたの御前に平伏します。あなたの御顔を崇めるその時まで、問題が問題とならなくなるその時まで、あなたと格闘しますので、私達にもぺヌエルの恵みをお与え下さい。主イエス・キリストの聖なる御名によってお祈り致します。アーメン。
西原新生バプテスト教会
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