聖書日課 創世記27章(新共同訳 旧約pp.42-45)
(1) 包括的で超越的な祝福(24〜29節)
主なる神の祝福は現在と未来を一つにする。現在の祝福が未来に繋がり、未来の祝福の約束が現在の生活で実を結ばなければならない。
イサクがした祝福の内容は大きく分けて二つである。
一つは現在に関する祝福である。イサクは、「どうか、神が/天の露と地の産み出す豊かなもの/穀物とぶどう酒を/お前に与えてくださるように」と、天と地の恵みと祝福が現在の生活を豊かにすることを願っている(28節)。
もう一つは未来の祝福である。
「多くの民がお前に仕え/多くの国民がお前にひれ伏す。お前は兄弟たちの主となり/母の子らもお前にひれ伏す。お前を呪う者は呪われ/お前を祝福する者は/祝福されるように」(29節)。
アブラハムに与えられた、「多くの国民の父」(17章4~5節)という身分がイサクを経てヤコブに伝えられた。このように、主なる神の祝福は物質的な領域にも霊的な領域にも及ぶ。
(2) 見えない御手と介入(30〜34節)
私達が主なる神の御心に背く決定を下す時、主なる神は見えない介入を通して主なる神の御心を貫かれる。
イサクは自分の後継者をエサウだと考えていた(4節)。長男に相続権を与えるのが慣習だったため、敢えて主なる神の御心を尋ねることもしなかった(1節)。
エサウも、父の後継者として全ての祝福を受け継ぐことについて少しも疑わなかった。そのため「パンとレンズ豆の煮物」で「長子の権利をヤコブに譲ってしまった」ことも(25章33~34節)、異邦人である「ヘト人」の娘を「妻として迎えた」ことも意に介さなかった(26章34節)。
しかし、主なる神の御心はヤコブを通して神の民を造り上げることであった。
後になってエサウは「わたしも、このわたしも祝福してください」と哀願している(34節)。しかし、イサクはヤコブに与えた祝福を取り戻すことは出来ないし、そうしてはならないことを知っていた。イサクが「激しく体を震わせ」たのは(33節)、主なる神の介入を悟ったからである。
西原新生バプテスト教会
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