聖書日課 創世記14章(新共同訳 旧約pp.17-19)
ロト一家が住んでいたソドムの町がエラムの王らによって攻撃され、ロトの家族が「財産もろとも連れ去られた」という知らせが、アブラムのもとに届いた(12~13節)。アブラムは、すぐに手勢の者318人を招集し、彼と「同盟を結んでいた」仲間と共に「敵を襲い」(13~15節)、ロト一家とその財産を取り戻した。
この時、2人の王が、勝利をおさめて帰って来たアブラムを出迎えた。一人はソドムの王である。ソドムの王は、「王の谷」と呼ばれる所でアブラムを出迎えて言った。
「人はわたしにお返しください。しかし、財産はお取りください」(21節)。
ところが、アブラムはソドムの王の申し出を断り、こう言った。
「わたしは、天地の造り主、いと高き神、主に手を上げて誓います。あなたの物は、たとえ糸一筋、靴ひも一本でも、決していただきません。『アブラムを裕福にしたのは、このわたしだ』と、あなたに言われたくありません」(22~23節)。
一方、アブラムを出迎えた王がもう一人いた。それが「いと高き神の祭司であったサレムの王メルキゼデク」である(18節)。彼はアブラムを祝福して言った。
「天地の造り主、いと高き神に/アブラムは祝福されますように。敵をあなたの手に渡された/いと高き神がたたえられますように」(19~20節)。
この時、「アブラムはすべての物の十分の一を彼に贈った」(20節)と記されている。
何故アブラムは、ソドムの王に対しては申し出を断り、サレムの王メルキゼデクに対しては、「パンとぶどう酒」による祝福を受け(18節)、「すべての物の十分の一」を「贈った」のだろうか。それは、サレムの王メルキゼデクが、アブラムの勝利について「天地の造り主、いと高き神」の祝福によるものであることを知っており、主なる神をほめたたえているからである。
しかし、ソドムの王には、そのような理解も主なる神への感謝も全くなかった。
「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい」と使徒パウロは言った(コリントの信徒への手紙一10章31節)。私達にとって何よりも価値あることは、主なる神のご栄光が現されることである。どんなに多くの物を得たとしても、どんなに人から称賛を受けたとしても、そこに主なる神への感謝と讃美がなければ全ては空しい。それが、真に主なる神に信頼し、主なる神を愛する者の実感ではないだろうか。ソドムの王に対するアブラムの言葉には、人からの称賛や損得に目を奪われることなく、主なる神のご栄光と主なる神への礼拝を何よりの喜びとして生きたアブラムの自由で力強い信仰が表されている。
西原新生バプテスト教会
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