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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ヨハネの黙示録16章

聖書日課 ヨハネの黙示録16章(新共同訳 新約pp.469-470)

 いよいよ「七つの鉢に盛られた神の怒り」「地上に注」がれる時が来た(1節)。これまでにも主なる神の裁きによる災いがあった。しかし、それはあくまでも限定的なもので、人々に悔い改めの機会を与えるためのものであった。しかし、今回の災いは、全世界に及ぶ徹底的なものであった。

 第一の「鉢の中身」「地上に注」がれると、サタンの「刻印を押されている人間たち」や、偶像を「礼拝する者たちに悪性のはれ物ができた」(2節)。

 次に、第二と第三の「鉢の中身」が注がれると、「海」「川」「水は血に」変わってしまった(3~4節)。「この者どもは、聖なる者たちと預言者たちとの血を流しましたが、あなたは彼らに血をお飲ませになりました。それは当然のことです」と言われている(6節)。

 第四の「鉢の中身」が注がれると、「太陽」「激しい熱」によって人々が焼かれた(8~9節)。第五の「鉢の中身を獣の王座に注ぐと」「獣が支配する」地上の王国は「闇に覆われた」(10節)。

 続いて第六の「鉢の中身」が注がれると、ユーフラテス「川の水がかれ」た(12節)。すると、「竜」「獣」「偽預言者の口から、蛙のような汚れた三つの霊が出て来」て(13節)、「全世界の王たち」「全能者である神」と戦わせるために「集め」た(14節)。いわゆる「ハルマゲドン」の戦いである(16節)。

 そして、最後の第七の「鉢の中身」「空中に注」がれると、「神殿の玉座から大声が聞こえ、『事は成就した』と言った」(17節)。すると、「いまだかつてなかったほどの大地震が起こり(18節)、「一タラントン」(約35kg)もの重さの「大粒の雹が、天から人々の上に降」り(21節)、「諸国の民の方々の町」が崩壊し(19節)、「島」「山々も消えうせた」(20節)。

 何と激しい、そして、何と恐ろしい災害だろうか! しかし、ここで注目したいのは、これほどの災いが下ったにもかかわらず、人々は悔い改めようとしなかったことである。それどころか、却って主なる神を冒瀆し、主なる神と戦うために結集するというのである!

「人間は、激しい熱で焼かれ、この災いを支配する権威を持つ神の名を冒瀆した。そして、悔い改めて神の栄光をたたえることをしなかった」(9節)。

「人々は苦しみもだえて自分の舌をかみ、苦痛とはれ物のゆえに天の神を冒瀆し、その行いを悔い改めようとはしなかった」(10~11節)。

「人々は雹の害を受けたので、神を冒瀆した。その被害があまりにも甚だしかったからである」(21節)。

 人間の心は何と頑ななのだろうか! 驚きを覚える。主なる神は、これまで何度も何度も警告を与え、何年もの間、何百年もの間、忍耐してこられた。それでも聞かなければ、罰を下してでも、人々が悔い改めて救われることを待ち続けてこられた。しかし、悪魔に与する人々は、最後まで主なる神を拒否し続けるというのである!

 これを読んでいて、私はふと思った。地獄とは、主なる神に拒否された人が行く場所ではなく、主なる神を拒否した人が行く所ではないかと。拒否されたのは主なる神の方である。主なる神の呼びかけと警告を最後まで受け入れようとしない人が自ら選んで行く所、そこが地獄である。一方、主なる神を信頼し、その愛と恵みを受け入れ、罪を悔い改めた人々、主なる神に聞き従う人々が行く所、それが天国である。つまり、天国に行くにしても、地獄に行くにしても、誰もそれを主なる神のせいにすることは出来ない。それは私達一人一人の選択によるものだから。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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