聖書日課 ヤコブの手紙4章(新共同訳 新約pp.425-426)
40代に入り、人生の折り返し地点を過ぎて、老年に近づきつつある今、私は、人生が短いこと、そして人生の中で行えるのは非常に限られていることを痛感している。
私達は、毎日の生活においても、仕事、勉強、趣味などにおける計画においても、自分が為すことに何らかの優先順位を付けながら生きている。だが、その優先順位は〈自分は当分死ぬことはない〉という前提の下で付けられているのではないか。
聖書は「人生はため息のように消えうせます……瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります」と語っている(詩編90編9~10節)。人生が「ため息」のように短いとすれば、死も近いことになる。もし明日死ぬとしたら、今日私達が為すべきことの優先順位も当然変わってくる筈である。
「よく聞きなさい。『今日か明日、これこれの町へ行って一年間滞在し、商売をして金もうけをしよう』と言う人たち、あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。むしろ、あなたがたは、『主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう』と言うべきです」(13~15節)。
明日死ぬとしたら、私達は最期の一日を何のために、いや誰のために使うだろうか。自分のためだろうか、人のためだろうか、主なる神のためだろうか。
主なる神は、今日私達の命を取られるかも知れないし、あと10年、20年、或いは30年の命を下さるかも知れない。
しかし、それがいつであっても、主なる神が私達に何をさせようとしておられるか、日々考えながら生きる必要があるだろう。
私達の今日の行い、明日の行い、毎日の行いが「主の御心」に適うものであれば、明日死を迎えたとしても、私達は恐れることはない。
今日も主のお導きを求めよう。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス