聖書日課 テモテへの手紙一5章(新共同訳 新約pp.388-389)
5章からパウロは教会における対人関係について教えている。「老人」や「年老いた婦人」に対しては、自分の「父親」や「母親」に対するような関わり方、「若い男」には「兄弟」、「若い女性」には「姉妹」に対するような関わり方をすべきであるとパウロは言う。
「老人を叱ってはなりません。むしろ、自分の父親と思って諭しなさい。若い男は兄弟と思い、年老いた婦人は母親と思い、若い女性には常に清らかな心で姉妹と思って諭しなさい」(1~2節)。
いずれも〈神の家族〉を意識した関わり方である。
次に、パウロは「身寄りのないやもめ」(寡婦)との関わり方について教えている。
「身寄りのないやもめを大事にしてあげなさい。やもめに子や孫がいるならば、これらの者に、まず自分の家族を大切にし、親に恩返しをすることを学ばせるべきです。それは神に喜ばれることだからです」(3~4節)。
夫と死別した女性は、社会的に弱い立場にあった。彼女に「子や孫がいるならば」、彼らに扶養させ、「自分の家族を大切にし、親に恩返しをすることを学ばせるべき」であるとパウロは勧めている(4節)。また、それが出来ない場合には、教会という〈神の家族〉の中で「世話をする」ように教えている(16節)。ここでも〈神の家族〉としての関わりが述べられている。
私達が最初に経験する人間関係は、家族との関わりである。主なる神はご自身の愛を表現するために〈家族〉という人間関係をお定めになった。人間関係の基礎は家族の中で養われる。だが、その家族関係が傷つき壊れてしまったら、社会における人間関係も壊れてしまう。現代の日本では、その負の連鎖が深まり加速している。
菅義偉首相は目指す社会像として〈自助・共助・公助〉を掲げている。〈公助〉とは、公的年金や公的医療保険、生活保護など、国や都道府県、市区町村の枠組みの中で支援を受けることである。しかし、新約聖書が記された時代には、ローマ皇帝の恩賜としての〈パンとサーカス〉はあったが、〈公助〉はなかった。そういう中で〈共助〉に相当するのが、教会の交わりの中でなされる助け合いだった。そして、それは〈神の家族〉としての人間関係を土台としていた。
今日の教会においても〈神の家族〉としての人間関係を保つことは重要である。目に見ることの出来ない主なる神の愛を、教会という〈神の家族〉の中で目に見える人間関係として現す。これもまた〈信心の鍛錬〉である(4章7節)。ここから各家庭の回復が実現されていく。更に、社会における人間関係の回復が実現されていく。だから、私達は〈神の家族〉としての人間関係を現していけるよう祈り続けていこう。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス