聖書日課 コリントの信徒への手紙二11章(新共同訳 新約pp.337-339)
パウロは、自分を誇るようなことは一切しない人物だった。ところが、この手紙では、「愚か者のように」と断りつつも、「多くの者が肉に従って誇っているので、わたしも誇ることにしよう」と言って、自分自身と自分が経験してきたことを誇っている。
「もう一度言います。だれもわたしを愚か者と思わないでほしい。しかし、もしあなたがたがそう思うなら、わたしを愚か者と見なすがよい。そうすれば、わたしも少しは誇ることができる。わたしがこれから話すことは、主の御心に従ってではなく、愚か者のように誇れると確信して話すのです。多くの者が肉に従って誇っているので、わたしも誇ることにしよう。賢いあなたがたのことだから、喜んで愚か者たちを我慢してくれるでしょう」(16~19節)。
それは、コリントの教会に入り込んでいた「偽使徒」(13節)の影響から、聖徒達の目を覚まさせるために、パウロが取った体当たりの行動だった。この時、コリント教会の聖徒達は、「偽使徒」の言葉を真に受けて、正しい信仰から外れてしまっていたからである。
そのため、パウロは、むきになったり、皮肉を言ってでも、彼らの信仰を何とか回復させようとした。つまり、この手紙に記されている激しい言葉や表現は、パウロがどんなに福音を本気で伝えようとしていたか、そして、コリント教会の兄弟姉妹をどんなに愛していたかを物語っている。
しかし、パウロの誇りは、偽使徒が自己の力量を誇ったようなものとは全く違っていた。それは、彼のこの言葉からも明らかである。
「誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう」(30節)。
パウロは、コリント教会から一切報酬を受け取ることをしなかった。それは、彼らに「負担をかけない」ため、そして彼らを躓かせないための配慮であった。しかし、そのためにパウロは、コリントで不自由な生活を余儀なくされたこともあった(9節)。
また、パウロは、自分は偽使徒の誰よりも「キリストに仕える者」(23節)であると主張した。そのために、パウロは、多くの迫害や災害、艱難や困難、飢えや貧しさにも耐えてきた(23~29節)。
しかし、恵みと憐れみに富む主なる神は、困難や貧しさや迫害の中で、常にパウロを導き、助け、守り続けられた。だからこそ、パウロは、自分の弱さを誇った。何故なら、弱さの中にこそ、主なる神の恵みと力が現されるからである。あなたは、そのような恵みと力の現れをご存知だろうか。
西原新生バプテスト教会
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