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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 コリントの信徒への手紙一15章

聖書日課 コリントの信徒への手紙一15章(新共同訳 新約pp.320-323)

「死者の復活などない」と言う人は、この世に沢山いる。確かに、復活を科学的に証明することは出来ない。復活は、信じるか信じないか、そこに希望を置いて生きるかどうかが大切である。その意味で、未信者ならともかく、キリスト者の中に、復活を信じない人がいるとすれば、それは信仰の基盤を揺るがす重大な問題である。

「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」(12~14節)。

 それ故、パウロは、本章全体にわたって、復活について説き、教えた。

「死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です」(16~19節)。

 キリスト者にとって、復活とは、最終的な目標であり最高の希望である。復活がなければ、キリスト者の信仰も希望も空しいものになってしまう。その一方で、復活は、将来の希望であり、まだ起こっていない。そのため、現実味のない話のようになっていることはないだろうか。

 その結果どういうことになるか? 将来に目標や希望がなければ、現在の生活においても、意欲も喜びもなく、行き当たりばったりで、「肉の欲、目の欲、生活のおごり」(ヨハネの手紙一2章16節)に振り回されてしまう危険性がある。コリント教会の中に存在した様々な問題は、彼らが復活の希望に固く立って生きていないため、目に見えるこの世のものに囚われてしまったことも原因であった。キリスト者が生き生きとした信仰の生涯を歩み続けることにおいて、復活信仰はなくてならない大切なものであることを忘れてはならない

「この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。『死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか』」(54~55節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町字内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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