聖書日課 ローマの信徒への手紙12章(新共同訳 新約pp.291-292)
パウロの手紙の多くは、前半が〈教え〉、後半が教えに基づく〈奨め〉となっている。ローマの信徒への手紙も、11章までは〈信仰による義〉を中心とした教えが語られ、12章からは、具体的な奨めが述べられている。
イエス・キリストを信じる信仰によって、キリスト者は主なる神の御前に義とされ、永遠の命の中に生きる者とされた。では、キリスト者は、この地上の生涯をどのように生きるべきなのか。パウロはこれまでの教えを踏まえながら、具体的な奨めを述べている。
まず、パウロは、「なすべき礼拝」について奨めている。礼拝は、キリスト者として生きる上で何よりも大切なものであり、信仰生活の基礎・土台となるものである。しかし、それは、日曜日に行われる礼拝式に参加することだけを意味しているのではない。パウロは、「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたがなすべき礼拝です」(1節)と言った。
勿論、これは文字通りの「いけにえ」ではなく、自分の身と生涯を主なる神に献げること、つまり〈献身〉を意味している。〈献身〉と言うと、牧師や宣教師になることと考える人もいる。しかし、ここでパウロが言っているのは、そういう限定的な意味ではない。全てのキリスト者がなすべきこととして教えている。即ち、私達が「なすべき礼拝」とは、自分自身を主なる神に献げることであり、生涯にわたってそのように生きることを意味している。
では、自分を主なる神に献げて生きるとは、具体的にどういうことだろうか。パウロは、これに続いてキリスト者の具体的な生き方について奨めている。イエス・キリストの体の一部分として自分に与えられた賜物に従って生きること(3~8節)。兄弟愛をもって互いに愛し合い、霊に燃えて主に仕え、たゆまず祈ること(9~12節)、そして、復讐は主なる神に任せ、悪に負けることなく、善をもって悪に勝つこと(19~21節)などがそれである。
しかし、これら全ての根底にある心構えとして、パウロは次のように奨めている。
「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」(2節)。
自分自身を主なる神に献げ、主なる神の御心に従って、主なる神に喜ばれて生きること、それが信仰によって義とされたキリスト者がなすべき礼拝である。
西原新生バプテスト教会
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