聖書日課 ヨハネによる福音書20章(新共同訳 新約pp.209-210)
「十二人の一人でディディモと呼ばれるトマス」は、どうして「イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった」のだろうか(24節)。その理由を聖書は記していないが、そのために、彼は復活したイエス・キリストと出会うチャンスを逃してしまった。また、そのためにトマスは、イエス・キリストの復活を信じることも出来なかった(25節)。
主にある家族と共に歩むことの大切さが、ここに示されているのではないか。即ち、キリスト者は主にある交わりの中でイエス・キリストに出会い、主にある交わりの中で信仰が強められ保たれていく。
勿論、一人ではイエス・キリストと出会えないということではない。私達は、日々の祈りの中で、主に出会い、主と交わることが出来る。しかし、主にある仲間と分かち合い、祈り合う交わりの中で、私達は生きて働かれる主なる神とその御業を確信し、励まし合うことが出来る。ヘブライ人への手紙でも次のように勧められている。
「互いに愛と善行に励むように心がけ、ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか」(ヘブライ人への手紙10章24~25節)。
私達は皆、こういう励ましが必要ではないか。
ところで、イエス・キリストは、このトマスを見捨てたわけではなかった。8日後、再び弟子達の中に現れた。そして、そこには「トマスも一緒にいた」(26節)と聖書は記している。
その時、イエス・キリストはトマスに言った。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(27節)。こうして、トマスは、復活のイエス・キリストを信じるようになった。
主にある仲間との交わりの中で、主に出会い、励まし合うことの大切さを教えられるエピソードである。
西原新生バプテスト教会
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