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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 ヨハネによる福音書13章

聖書日課 ヨハネによる福音書13章(新共同訳 新約pp.194-196)

 十字架の死を目前にして、イエス・キリストが最後の最後に弟子達になさったこと、それは彼らを「この上なく愛し抜かれ」るということであった(1節)。そして、その愛の表現として、イエス・キリストは弟子達一人一人の足を洗われた(5節)。

 当時、〈足を洗う〉という行為は僕や奴隷のする仕事だった。それ故、シモン・ペトロは驚き、彼の足を洗おうとするイエス・キリストに、「わたしの足など、決して洗わないでください」(8節)と断った。しかし、この時、イエス・キリストはペトロにこう言われた。「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」(8節)。

 仕えられるためではなく仕えるために来られたイエス・キリスト全ての者の僕となって御自分の使命を完成されるイエス・キリスト。受難の僕として、十字架で死ぬことによって人々に救いと平和をもたらすイエス・キリスト…。イエス・キリストに足を洗ってもらうというのは、このようなイエス・キリストの恵みを受けることを意味していたのを、ペトロは知らなかった。

 勿論、ペトロが辞退したのは、弟子としての自然な思いであり、イエス・キリストを師と仰ぐ故の態度でもあった。しかし、人間の自然な感情がそのまま全て真理に適うとは限らない。イエス・キリストは、ペトロの見せた態度の中に、なお砕かれなければならないものがあることを見抜いておられた。イエス・キリストに足を洗っていただくためには、素直で謙遜な心が必要だった

 他者のために積極的に仕え、犠牲を払って人々を助けている信仰者が、他者から同様の援助を受ける時、それを素直に受け入れるのがなかなか出来ないということがある。そのためには、謙りの心が必要である。信仰とは謙ることであり、自分の思い上がりを悔い改めることである

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町字内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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