聖書日課 ヨハネによる福音書12章(新共同訳 新約pp.191-194)
ヨハネによる福音書は、12章から21章まで、イエス・キリストの地上における生涯の最後の一週間について記している。
12章には、大勢の群衆がイエス・キリストのエルサレム入城を出迎えたことが記されている(12~13節)。この時、人々の中に「何人かのギリシア人」がいて、「イエスにお目にかかりたい」と願い出た(20~21節)。イエス・キリストは、その報告を受けて、次のように言われた。
「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」(23~25節)。
「人の子が栄光を受ける時が来た」とイエス・キリストは言われた。「栄光」とは何だろうか。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」と言われているように、それはイエス・キリストが十字架にかけられて死ぬことを意味している。そして、その結果、罪人の救いの道が開かれ、福音が全ての国民に届けられるようになること、それが「栄光」である。ギリシア人の来訪は、その時が来たことのしるしであったに違いない。
イエス・キリストは、「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」と言われた。人は本来、自己中心や自己保身のためにではなく、隣人と互いに愛し合い、互いのために生きるように造られている。それが永遠の命に至る生き方である。イエス・キリストの十字架は、まさにそのような生き方の結晶であり、最高の模範である。それ故、イエス・キリストはこう勧めている。
「わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる」(26節)。
イエス・キリストに仕え、イエス・キリストに従い、イエス・キリストと共に生きることは、イエス・キリストが私達を愛し、私達のために命を捨てて下さったように、私達も、互いに愛し合い、互いのために命を捨てて生きることである。その時、天の「父はその人を大切にしてくださる」。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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