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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 ヨハネによる福音書10章

聖書日課 ヨハネによる福音書10章(新共同訳 新約pp.186-188)

「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(11節)。

 これはヨハネによる福音書の中に出てくるイエス・キリストの自己啓示の一つである。「わたしは良い羊飼いである」…ここにはイエス・キリストの使命と働きについての大事な意味が込められている。

 第一に、良い羊飼いであるイエス・キリストは、羊に仕えるために来られた。偽りの羊飼いであるユダヤの指導者との根本的な違いがここにある。彼らは自分の利益や報酬のために羊を利用していたが、イエス・キリストは、人々に「仕えられるためではなく仕えるために」(マルコによる福音書10章45節)来られた。

 第二に、良い羊飼いであるイエス・キリストは、羊である私達を養い育てる。羊飼いは、羊一頭一頭の名前を知っている。彼は、群れの「先頭に立って」(4節)、羊を牧草地や水辺へと導く。こうして、良い羊飼いは、羊を様々な危険や災いから守る。しかし、偽りの羊飼いは、羊を「盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりする」(10節)。

 第三に、「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」イエス・キリストは言われた。当時のパレスチナでは、羊飼いが羊を守るために野獣と戦って命を落とすことも実際にあったと言われている。自分の身を挺して羊を守るのがユダヤの羊飼いの姿である。イエス・キリストも、私達を救うために、御自分の命を十字架の上で献げて下さった。ここに真の良い羊飼いとしてのイエス・キリストの姿がある。それに対し、「羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人」は、「羊のことを心にかけていない」ので、「狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる」(12~13節)。ここにも、イエス・キリストユダヤの指導者の違いがはっきりと示されている。

 そして、第四に、良い羊飼いであるイエス・キリストは、一つの群れをつくるイエス・キリストは、「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない」(16節)と言われた。これはユダヤ人と異邦人が、イエス・キリストの御声を聞いて一つの群れ(教会)となることを意味している。イエス・キリストは武力や権力をもって群れを一つとするのではなく、御自分の命を差し出すことによって羊を生み育て、一つの群れをつくられた。

 イエス・キリストを信じる私達は、良い羊飼いであるイエス・キリストに守られ、養われ、豊かな命を受ける者とされた。このことを心から喜び感謝したい。

「門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである」(3~5節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町字内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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