聖書日課 ヨハネによる福音書4章(新共同訳 新約pp.168-171)
サマリア人の女性とイエス・キリストの出会いは、決して偶然の出来事ではなかった。この時イエス・キリストは、「サマリアを通らねばならなかった」(4節)と記されている。どうしても通らなければならなかったのは、このサマリア人女性に会うためである。
この女性は、今までに5回も結婚と離婚を繰り返し、現在は6人目の男性と同棲中という、町で評判の不道徳な女性だった(18節)。そのため、彼女は、水を汲むにも、人目を避けて太陽の一番高い「正午ごろ」に井戸に行かなければならなかった(6~7節)。
しかし、イエス・キリストは、まさにその場所に先んじて行かれた。しかも、この時イエス・キリストは、「旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた」(6節)と記されている。イエス・キリストは、いつも燦然と輝く姿で現れるわけではない。弱く小さい者の姿をとって私達の前に現れることもある。
イエス・キリストは、この女性に「水を飲ませてください」(7節)と頼まれた。そこから、彼女とイエス・キリストの会話が始まった。そして、この女性は、自分の目の前にいるのが今までずっと探していた救い主(キリスト)であることを知った。
「女が言った。『わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。』イエスは言われた。『それは、あなたと話をしているこのわたしである』」(25~26節)。
すると、それまで人目を避けるように生きていたこの女性が、「水がめをそこに置いたまま町に行き」、人々に向かってこう言った。「さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません」(29節)。そして、聖書はこう記している。
「さて、その町の多くのサマリア人は、『この方が、わたしの行ったことをすべて言い当てました』と証言した女の言葉によって、イエスを信じた」(39節)。
イエス・キリストが「サマリアを通らねばならなかった」理由はここにある。
「ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです」(コリントの信徒への手紙一1章27~28節)。
西原新生バプテスト教会
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