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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 ルカによる福音書23章

聖書日課 ルカによる福音書23章(新共同訳 新約pp.157-159)

 23章には、イエス・キリストの十字架の死と葬りの出来事が記されている。これについては、4つの福音書が全て記している。イエス・キリストは、確かに死に、そして墓の中に葬られた。それは、私達の罪の代価が確かに支払われたこと、私達が確かに赦され、救われ、解放されたことを表している。

 ところで、イエス・キリストの遺体を葬ったのは、12人の弟子達でも、最後までイエス・キリストの身近にいた婦人達でもなく、「ヨセフという議員」だった。この人は、「善良な正しい人」で、「同僚の決議や行動には同意」せず、神の国を待ち望んでいた」と記されているように(50~51節)、イエス・キリストに深く信頼を寄せる弟子の一人だった。

 ヨセフは、イエス・キリストの遺体を引き取るために、総督ピラトのところに行って願い出た(52節)。議員という立場にあったとはいえ、死刑に処せられた人物の遺体を引き取ることは、自分もその仲間であると表明する行為である。それは相当の勇気と決断が要ったに違いない。しかし、人の真実は、こういう危急の事態の中でこそ現される。

 一方、12人の弟子達は、十字架の前に皆逃げ去ってしまった。彼らの中には、変えられるべき弱さがまだあった。それを自覚することのなかったペトロは、「主よ、御一緒になら、牢に入って死んでもよいと覚悟しております」(22章33節)と豪語した。他の弟子達も同じだった(マタイによる福音書26章35節)。彼らには、自分の弱さを認める謙遜と、主に全てを委ねて生きる覚悟が必要だった。そして、そのためには、十字架による躓きと挫折の経験が必要だった。

 勿論それは、痛みと悲しみと深い苦悩の経験であった。しかし、彼らはそのどん底で、復活の主と再び出会った。それ以来、彼らはもう二度とイエス・キリストを裏切ることも、離れることもない人生を歩む者となった

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(ローマの信徒への手紙8章28節)。この約束は弟子達にとって、そして私達にとって真実そのものである。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町字内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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