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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 ルカによる福音書21章

聖書日課 ルカによる福音書21章(新共同訳 新約pp.151-153)

「イエスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、言われた。『確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである』」(1~4節)。

 こういう箇所を読むと、「神様は全財産を献金せよと言っておられるのだろうか?」と恐れを抱く人もいるかも知れない。しかし、イエス・キリストは、ここでそういうことを教えようとされたのだろうか。

 そもそも、私達は何のために主なる神に献げるのか。まず確認すべきことは、私達が献げ物をするのは、救われるためや罪が赦されるためではないということである。そのためにこそ、イエス・キリストは、私達の身代わりとなって十字架にかかり、尊い命を献げて下さったからである。

 そして、キリスト者の献げ物の動機は、そこから生まれる。つまり、このような者のために独り子の命をも献げて下さった主なる神の愛と恵みに、心から感謝し、喜び、そして、真の愛をもって応えること、それが献金ではないか。「この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れた」イエス・キリストが言われたのは、このような痛みをもって献げる真の愛を教えるためであった。

 また、貧しいやもめが全財産を献げた行為には、主なる神への感謝や愛と共に、全幅の信頼があった。彼女は、主なる神が必要の全てを満たして下さると信じ、全身全霊で主なる神を信頼して生きていこうと決心していたのだろう。つまり、このやもめの献金は、主なる神への献身を意味していた。

 もし私達の献金にそのような感謝も愛も全くないとしたら、献金はどこまでも義務や見栄や仕方なしのものとなってしまうだろう。どれほど大金であっても、そのような献げ物を、果たして主なる神は喜ばれるだろうか。献金は金額の大きさで計れない。献金は、自分のために、独り子の命という大きな犠牲を払って下さった主なる神に対する信仰と愛の行為である。主なる神への感謝が湧き上がり、痛みを伴うほどに主なる神を愛し、献げていくこと、それが真の献げ物ではないか。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町字内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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