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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 ルカによる福音書16章

聖書日課 ルカによる福音書16章(新共同訳 新約pp.140-142)

 イエス・キリストは「金持ちとラザロ」と呼ばれる物語を語られた。この金持ちは、生前「いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らして」いた(19節)。一方、ラザロは、「できものだらけの貧しい人」で、金持ちの門前に横たわり、「その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた」(20節)。

 やがて2人はこの世の生活を終え、ラザロは「天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれ」た(22節)。ところが、「金持ちは陰府でさいなまれ」た(23節)。そして、彼が「目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた」(23節)。金持ちの男は大声で「父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます」(24節)と叫んだ。それに対し、アブラハムは次のように答えた。

「子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない」(25~26節)。

 勿論、この話は、金持ちは罪で、滅び、貧しい人は善で、救われるということを教えているのではない。地上の生涯において金持ちであろうと貧乏であろうと、天においては、私達が地上で何を信じ、何のために生きたかが問われることを教えている。イエス・キリストは言われた。

「どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」(13節)。

 この金持ちは、財産に拠り頼み、富に仕えて生きていたため、隣人を憐れむ心も、永遠の希望も持っていなかった。一方、ラザロは、貧しさの中で、なお主なる神への信仰と永遠の希望を抱いて生きていた。それが死後の2人のあり方を全く違ったものとした。

 もう一度確認しておきたい。この地上で金持ちか貧乏かは全く関係ない。主なる神を信じ、主なる神に仕えて生きているか、天においてはそれこそが最も大切なことである。このことが私達の永遠の世界を二分する。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町字内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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